つれづれ1

■何だか文章を書きたい気分だ。何だろうな。上手く言えないが感情がうごめいている。『GTA5』は面白い。けどやっぱりゲームをする体力がないので、帰宅する度に1ミッションずつって感じ。トレバーは暴力の匂いが凄まじい。まあ何たってその自由度と映画、音楽の抽出でしょう。そこにアメリカ文化の何かが見えるから面白いのでしょうか。『アタック・ザ・ブロック』の再見。短くて見やすい。団地の空間、現代っぽい音、あとはUk映画独特のポップなテンポが最高でした。

■深夜にヲノ先生とTwitterでやり取りしまして、天才とは「努力した人、頑張った人」なんだと息子さんに伝えたというようなTweetがありまして、それに類してただ「華」という要素に関しては天才と言うしかない何かがあると。

プロレスにおける華というのは非常に重要で、シブいレスラーもいれば、華という概念から違った色気を放出するレスラーももちろんいる。それでやはり華があるかどうかというのは非常に重要なのでして。私も僭越ながら学プロ時代には何人かの方に華があると言われたものです。先日の9/30ガンプロでもライダースを着て入場したら成田くんが「うぉっ!ってなりました、それまでの空気が変わりました」と。

仮にそれを華のようなものだと捉えると、僕はプロレスというパフォーマンスにおいてはそれは掴んでるけど、映像においてはそれを放出するには至っていません。それで映像における華やかさとは何かとヲノ先生とやり取りをしている際に、このようなTweetがあったわけです。


@yumehitoimanari 魅力的な映像とは要するに、そもそも被写体に「華」のある映像か、さもなくば映像自体が何らかの「華」とリアリティを持ち合わせたものか、どちらかでなければならないでしょうね。(と言うのは簡単ですが…。)


うぉっ!これは金言だなーと見た瞬間に思いました。つまり大別するとこの2つに分けられる。ある部分ではプロの映像としてはこのどちらかをクリアしていなければ良い作品とは言えないというようなマストな事項だとも思えました。特に言えば自分の体験としてもそれが置き換えられるからです。であるならば、後者の意見に関してはこれからの努力次第で何とでもなるということ。映像自体の何らかの「華」とは何でしょうか。編集なのか、リズムなのか、画角なのか、アングルなのか。。答えは限りなく無限ですが、これが作り手の技術や思想によって裏付けられることは間違いないでしょうね。さらにそこからリアリティを付け加えてなくてはならない。難しいのですが全てが全てに華のあるキャスティングを用意することは出来ない。しかしながら華のあるように見せるその映像におけるアプローチが今まさに僕に試されているような気がしてならないのです。