『ロックンロール・ハイスクール』『スーパー・チューズデー 〜正義

■休みをとる。

新宿ピカデリースーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』監督:ジョージ・クルーニー
大傑作。地味な作りだけど、映画として求められる満足度の度数がそれぞれとても高い。撮影、キャスティング、画面構成や、会話などどれもが安定しつつ、ある臨界点を超えて迫ってくる。とにかく出ているキャスト全員に独特の色気があり、それが映画全体の妙な豪華さというか、上品な印象を持たせてくる。かといってキャストが浮き立つことはなく、全員が全員地に足の付いた演技をし、適材適所に良い仕事をしてくる。

アメリカ政治の裏切り、構造、仕組みを軸に、人間の選択やそれによる愚かさ、ずる賢さを実に的確な心理描写で描いていると思った。それぞれのキャラクターの行動原理が、それぞれの正義感と、それぞれの使命感、葛藤などに強く基づいているため、それぞれの立場の状況が強い全体感として迫ってくる。美術やオフィスのセットもとても良かった。

それぞれに葛藤があり、善悪の間で感情が揺れ動く物語は面白い。それはより普遍的な人間の性に迫っているからだと思うし、また政治というその国独特の背景が色濃く見えるからまた面白いのだ。アメリカって抜群に面白い。日本でもこういう映画が作られれば良いのにと思った。「はやぶさ」やってる場合じゃないっす。

■『REC3』監督:パコ・プラサ
ダメだった。突っ込みどころ満載といっても、そこまで遊びきれているわけでもないし、ちょっと中途半端な作りだった。まずビデオカメラである必然性が全くない、途中からp.o.vで撮られていないことそのものがとてもイマイチだ。だったら最初から正統な撮り方でホラー映画作れば良いと思うし、登場人物の行動や言動がマヌケ過ぎてフィクションラインがどの辺りで定まっているのかハッキリ分からない。まだスプラッター描写で笑わせてくれるから良いけど、それさえなかったら随分酷い内容だったと思う。ゾンビ化しても愛し続けた二人というオチも途中にあまりにマヌケ過ぎる演出を見せられたので、全く入り込めず。

映画の画もp.o.vの前半時のときの方が遥かに魅力的だった。どうして映画らしくなってつまらなくなってしまったのか。不思議なのだが、フェイクドキュメンタリーはフェイクドキュである必然性がなくなった時にその生命線を無くしてしまうという典型例だった。第9地区とかは例外。

エンドロールの曲だけがラテン調で良かったな。

新宿武蔵野館『ロックンロール・ハイスクール』監督:アラン・アーカッシュ
ラモーンズの音が鳴り響き、生徒たちが踊り狂う最初のシーケンスからもう最高。どうして最高なのか。これは確信が持てないけど、学園映画ならではの作品全体から漂う愛おしさや、可愛さと、「もうバカ!」と言いたくなっちゃうけど、そんな君らが好きなんだよという心地よさ。これを掴めちゃうと、こうやって数十年経っても忘れられない映画が誕生するんだろうと思った。あぁ可愛いなと思わせれば忘れられない。たぶんそれはそのときにしか撮れない若さや、テンションや時代性も含めた「一回限り」の「撮ったもの勝ち」の魅力だと思う。

■やっぱり映画って良いなと思った。映画から学べることが多過ぎるし、僕のとってこれほど最良のメディアはないんだって思った。だからこそ自分が作れる映画、作りたい映画を日々模索せねばと思う。

そんな「思って」ばかりの一日だったんだけど。それは自分の直感を研ぎ澄ましてる作業なので。