『SHAME -シェイム-』

■シネマスクエアとうきゅう『SHAME -シェイム-』監督:スティーヴ・マックイーン
こんなに見ていて自我が崩壊しかけた作品は久しぶり。セックス依存症の人物を描いているとか書いてあるけど、全然普通のメンズの方でも感情移入出来るというか、「イタタ」と思える描写が満載で、身につまされた。オナニーを妹に見られるとか、電車で向こう側に座っている女性を見つめてしまうとか、会社のPCでアダルトサイトを見るとか、デリヘルを呼ぶとか、トイレでオナニーとか、段ボールに沢山入っているポルノDVDや書籍。別に日常的にそんなことはありふれていると思う。それをどれか一つ棚に挙げて「変態」と叫ぶのなら、世の男子が鑑別行きだ。で、問題はそこに付きまとう性への罪意識なのだが、そこに妹という異物が混入し、その静かなる性生活に異変が生じる。

ジョジョの第4部で吉良吉影がやはりエリートの風貌ながら、静かに変態的に殺人行為を行っている構造に近いものがあるのだけど、こちとら性問題はもっとも全ての男性に当てはまってしまうので、もう逃げようがない罪意識のよう。

描写として上手いのは、その静かなるテンションと的確なアングル、ショットの強さではないか。監督のスティーヴ・マックイーンは映像アート出身なだけあり、相当な画面への美意識を持っていると思われる。過去作を見ていないので、共通項が見いだせないけど、パンフレットに記載されている通り、観客へのサービスや娯楽性を度外視して作っていると言っている。しかしながら、それらを度外視して作ったと言っても、退屈するシーンはさほどない。むしろそのショットの緊張感の持続や、そんな〜という気持ちになる。

マイケル・ファスビンダーのその締まった肉体と、端正な容姿、そして安定感のある仕事とこれだけ完全無欠な要素が備わっていながら、ゾンビのようにその肉欲を求める姿に社会の病は見え隠れしてしまう。全員が全員そうであるわけにはないにせよ、やはりこのゾンビ化はカンパニー松尾作品に付随するAV作品とテーマが被ってくる。

これを見てネゲロ君たちとこれを課題作品にして皆でトークしてみたいなと思ってしまった。いや何というかそれだけ僕らが「性」という自意識に向かい合いながら学生生活を過ごしてきたのだという潜在意識にエレクトしてしまったので。

こんなに学生プロレスの実況ネタで使えそうな描写ばかりなのに、やっぱり年をとってもこの悩みが付随するのが男としか言いようがなくて困ってしまう。

■上映が終わり、コマ劇のなくなった歌舞伎町の空がより空疎に見えた。ここにある性欲は、この街はどう受け止めているのか。エンター・ザ・ボイドを見返したくなった。強烈だ。

■編集。進まない。被写体の大家さんに飽きている自分がいる。

■吉祥寺で今林さんの演劇を見る。小劇場というミニマムな世界も大変だなぁと思う。たぶん僕はあまり演劇そのものに関心がないのかもしれない