『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』『顔のないスパイ』

■編集。編集しているものはバカバカしくて面白いけど、これを編集したことで、自分の意図というか、伝えたいことではない。そんな心境のジレンマを編集中に感じる。それだけくだらない映像。メッセージも何もない。

■TOHOシネマズ日劇『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
思っていた以上のテンポはスローで、挟み込みのインタビューもしっかり長い時間をもって構成されていた。これを見るとたぶん全体の素材数はそんなに多くないと思う。しかし間違いなく、貴重なその洞窟の撮影が軸になっており、それがやはり最大の魅力だと思う。洞窟の奥行きを映し出した3D効果は過去の3D映画を見ても最高レベルで、間違いなくこれが3Dである必然性のあるモチーフであったことは容易に分かる。それに加えて、考古学的な視点やヘルツォークの自然回帰のような願望と相まって霊的な何かを想起させてくる。

内容は意外なほどに道徳的な内容になっており(日本語ナレの影響もあるかと思うが)印象として、過激なドキュメンタリー作品という雰囲気はない。むしろ静かにその洞窟の体験へと誘うような作りで、洞窟のその神秘性にかけているかのようだった。洞窟そのものこそがこの映画最大の映画的な「夢」「仕掛け」「見せ物」としてしっかり存在している。そしてそれだけ魅惑的であった。

そしてラストのワニ。バッドルーテナントでも登場したワニが、意図的に登場してくる。ヘルツォークの人間と動物の同一目線がここでもかというくらいに登場し、ワニが原子力への警笛をならし登場する。およそこれがフェイクだということはどうでも良く、ここにワニを挿入するヘルツォークの真なる叫びが見えてくる。

しかしやはり結論としてはテンポが遅い。僕はこのテンポでドキュメンタリーは作れないなと思ってしまった。ヴェンダースヘルツォークの両作品を見てある種の結論に至りたいと思ったのだが、どちらもとてもゆったりとした、そして凛とした被写体への迫り方だったが、これを若い人間がやれるほど、実際甘くないと思ってしまった。「巨匠」という特典がなければ、これだけゆっくりしたものは作れないのではないか。

単純にテンポの問題じゃないんだけど、僕はプロレス興行でこういうテンポの作品は作っていないし、演出上心掛けているのはやはりテンポの良さなので、そこは譲れないと思ってしまった。

ただ精神の問題なのだ。ヘルツォークが自然回帰への心持ちでいること、その精神性こそがこの作品の評価の一つでもあるような気がした。

テンポはAKBドキュだけど、精神性はヴェンダースヘルツォークでありたいと思った。

あとはドキュメンタリーという言葉を先行させるのではなく、そこに映像人類学としての面を持ち合わせる作品は強いのだと思った。そこにフィクションを織り交ぜて良いのだ。

■しかし老後になっても語り口のテンポが衰えないシドニールメットってやっぱりすげえなと。うん。想像以上に僕は映画にテンポを求めている。官能的な没入性みたいなものよりかは、カットの割を重視している。それが分かっただけでも良かった。ジョナス・メカスはやはり凄かった。

新宿バルト9『顔のないスパイ』監督:マイケル・ブラント
面白かった。無駄のない語り口、表現に加え、追うもの、追われるものの構造が交錯していき、二重スパイという潜入もの特有のオチでしっかり回収するのが見事だと思う。とにかく説明が丁寧にされていて、過去を現すシーンのフラッシュバックや、色調補正も確実に押さえているし、どれもくどくない程度にどどめている。

真相が分かり、再びタッグを組んで真犯人を追いつめていく二人の後ろ姿のショットはベテランと若手の男二人組ならではの画。これがしっかりと分かった上で演出しているのが憎い。

容赦のない仕事っぷりを見せるリチャードギアの女を殺す寸前まで、追い込ませ真実を吐かせようとする人間描写と、トファー・グレイスの嫁にトファー・グレイスは危険だから捜査を止めさせに告げにいく人間描写。決して些細な人間描写ではないけども、この異なる二つを破綻させずに保つリチャード・ギアの芸こそ。

何だかこういう佳作をしっかり生み出す「仕事」にもっと注目しなきゃイカン気がしてきた。

惜しいのは女性キャストが目立っていなかった点か。嫁さんの役は紅一点なだけに、もう少し魅力的でも良かった気がした。あとトファー・グレイスの未熟者感のバランスが難しいのかなという気もした。ほんの些細なキャスティングしか気にならない。

■詳しくは知らないけど、上杉町山戦が話題になり、町山さんのその理に適った攻守が注目されていた。改めて町山さんの著書を読んでみたいと思った。そして自分の師匠が町山さんと性格が似ていることに気付いた。VTRを作って理路整然としていなければ、徹底して直させ、Twitterで根拠のない発言があれば徹底して潰しにいく。僕もこの一年間、そんな師匠の元に叩きつぶされてきた。だが、それだけ重要なのだ。理詰めでいくということは、インチキを潰すということ。インチキを潰すのは、虚偽や欺瞞に満ちた社会にメスを入れられる一つの手段なのだと。

師匠と話してある人が酷いということをよく話している。その人についてのことは話さないが、理詰めで潰してもあまりに根拠のないことを喋り倒し、あたかもそれに権力があるかのように振る舞っている。僕と師匠はそうあってはいけないと反面教師の話題に挙げている。

もちろん世の中には理詰めで説明出来ないものもある。町山さんがワーストに挙げる映画のほとんどは、理論として破綻している作品がほとんどだからだ。で、あるが故に、言葉では説明出来ない何かを包括した魅力もあることも事実なのだ。

そして師匠も自分の欠点は「まとまってしまうこと」と冷静に自己分析している。つまり理詰めで生理したその映像には破綻がないが故の「何か」がないことも同時に認めている。

だけどもそれはよほどの天才の話で。理路整然が出来ない素人はまず理路整然が出来るように目指すべきなんだろうというのがこのごろの結論なのだ。美大には何故か良く分からないが、理論で作られているものが少なく、それらは実際のところどこまでが天才の仕事で、どこまでがアホの仕事なのか分からなかったりする。

これは人それぞれなんだけど、やっぱり僕はまず理詰めで人を潰せるくらいにならないとプロレスのディレクターなんて出来ないなって思った。ドキュメンタリーも一緒で、欺瞞にメスを入れるには、やっぱり感覚じゃなくて、理詰めの攻守が必要。

安易な自己啓発は必ず自爆する。安易な自己否定は大変なことになるぞ〜。自戒をこめてそう思う。
この文章が穴だらけだけど