『アンダーコントロール』

■朝、前の会社のM君から電話があった。M君は太陽みたいな男の子で、いつもマイペースに笑顔を絶やす事なく、そして誰とでもその空間を居心地良いものしてくれた。彼は配属が大阪勤務になってしまったので、僕は彼と顔を合わせ続けた期間が実質2ヶ月くらいである。そんな2ヶ月は実に濃密で、僕ら同期は不思議と妙な連帯感を築き上げていたのだった。彼の近況は興味深かった。あの人は今何してるの?テレビ業界の売り上げは?などなど。

それを通して実感したのは、基本的にはそんなに急激に変わらないということ。サラリーマンが勤務している日常はいかに慣れるかということと日常の中に如何にイベント事を入れ子んでいくかが重要だと思われるが、彼の口からは「そんな変わらんよ」だった。facebookでは彼の充実が伺いしれる写真を見るにつけ、僕も辞めていなければ合コンだ何だって、そりゃサラリーマンならではの、テレビ局勤務ならではの遊びが出来たのだろうと想像してしまう。実際に4月に女子アナがたくさん入ってくると聞けば、まあ羨ましいったらありゃしない。しかしこれは既存概念がとてつもなく邪魔をしていて、実際のところそういった中でも、「しんどさ」は付いて回るのだった。「しんどさ」とは何だろう。自分の時間が作れなかったり、仕事そのものに夢が持てなかったり、人間関係だったり。報酬に対してどれだけの人間が我慢を強いられているのか。そんな中でどこの部署に行きたいの?と聞くと「経理かな〜」と言ってしまうM君は趣味がギャンブルだけあってこのような日常に対する適応能力が極めて高いのだ。創造性がどうだとか、藝術がどうだとか、日々悶々と考えているヤツがそのような日常の型にハマって生活する事自体が土台無理な話。

組織体というのはそう簡単に変容することが出来ないのだ。人ひとりが辞めたところで、辞めさせてしまった原因などを考える隙間などない。会社はいつだって日常の中で、仕事を進行することが全てなのだ。だからその後1年が経過したところで、大きな変化などない。だから1年経過したことは「辞めたこと」が「必然」だったと感じるに至る事実そのものである。だから今更「あの時あ〜しときゃやった」という後悔はもう何も生み出さないのだ。それが個人の中でのちょっとした学びになれば良い。人は想像以上に環境に左右されるのだ。DDTで1年やってやれたのだから、その働き方が合っているのだろうし。この問題はM君との電話で解決したのだ。企業は急激に売り上げは下がらないし、組織図はそう簡単には変わらない。夢見がちなことなんて何もない。日常を日々生きる事、仕事をすること。

だから私が今やっている日常もそのうち慣れる。実際のところ1年が経過し、慣れたのだ。もちろん慣れ以上に会社がチャレンジをするインディーズ母体の会社だから、それ以上に社長が仕掛けていくアイディアマンであることが大きい。そして上司がフリーランスながらも厳しく仕事に対して望み、過酷な今を生きているからだと思う。そんな人たちに影響を受け日々生きているのだ。慣れ以上に刺激があることに慣れてしまったのだろう。だから刺激があることを当たり前にすることなく、自己発信でも出来るようにせねばというのが、当面の私の目標なのだ。ただの企業の社員などではない。インディーズの人間であるという事を意識し、何を残したいのか、そぎ落として考え、それを実行すべき時がいよいよ目前に迫ってきたのです。

■MA東陽町。この街は大通りに面して異常に餃子屋が多かったりと変な街。

■帰りがけに映画を見ようと思ってHTC渋谷に寄ったが特集の上映がDVD上映ということで、勃起しまくっていたチンコが萎えたかの如くそりゃないぜと引き返した。いや未公開の映画を公開しようとする心意気すら良いのだけど、デジタル上映でも、画質や出力には拘って欲しい。せめてBD上映に。財布の紐が緩いわけでもなんでもない状況下で、確かに地デジ以下の画質で見る意味そのものが、心理的に萎えてしまう。だったら家でDVDでという話にも確かになってしまうし、実に難しい判断だ。そりゃDVDスルーならそれはそれでDVD買っちまうぜという話である。

しかし映画館がやはりデジタル上映でその貨幣価値を脅かされていることは間違いない。やっぱりフィルムで見たいんですよ、フィルムで。

■本屋に行ってウロウロした新刊をチェックしていたが、何を買って良いのか分からず、手にとってみるものが、何だかどれもビジネス本のように思えてならなかった。

イメージフォーラム『アンダーコントロール』監督: フォルカー・ザッテル

追記:これまた気持ち悪い文章だ。気持ち悪さに拍車がかかる。人間は時にこんな気持ち悪い文章を書きたくなるほどに、自己と他人を比較したがるのか。本当に気持ち悪い。