『ストリートダンス/TOP OF UK』

■編集、作業。ちょっと落ち着いた。

■喫茶店で読書。

■『SQ “かかわり”の知能指数鈴木謙介 (著)
書いてある事が実に簡潔かつ面白く書かれていて一気読み。個人的な見解としては他者のために役に立てていると実感出来る人の方が幸福度が高いという調査が判明し、それに類する指数を偏差値のような数字としてハッキリさせたのがSQ指数だ。これまで車を持っている事や、良いものを着飾る事でモテようとしていた時代があったが、今はそれらの要素がモテとしての要素としてハッキリうちだせなくなっている。車を買い、マイホームを持つというライフスタイルそのものの変容はかつての価値観をとのギャップを生じさせ、世代間の意識の違いを浮き上がらせるのは当然の結果なのかもしれない。あまりにいくつもの事柄が当てはまる。例えば地元のジモト志向、すなわち地元の仲間といることを重視している環境であったり。

それは間違いなく変化した。まさにこの本に書かれていることを僕は実感する。多くの人がこのSQ的な悩みにぶちあたり仕事の決定、転職などの選択の参考にしている。全員が全員そうではないけども、ここで書かれていることはまさにそんなことなのだ。そしてその世代間のギャツプに苦しみ、また前時代的な会社に意思が染め上げられることに恐怖してしまう。若者の幸せ指数とは、敵なき時代により本質的な幸福探しの旅が始まったのではないかと言える。資本主義の断末魔をまさに今この瞬間に見ている若者たちが、一杯120円のコーヒー、270円のビールで語り合う。服はユニクロ。そんな生活感の中で果たして幸福に何を見いだすののかが、この本で書かれている「身近な他者に対して手助けをすること」なのだと思う。そんな中で僕の行動原理は誰かを助けたいとか、そういう概念ではない。全然誰かのためにという感情はあまりない。ただ人生を謳歌するための最善の選択は何だろうかという問いに嘘を付かないようにしているだけ。だから手助けという言葉が非常に嘘っぽい24時間テレビ表現で使われることに嫌悪感は否めない。慈善事業をやっているだとか、若きタイガーマスク的な方法というのは果たしてどこまでが本当なのか。僕は自分の生活を見つめるだけで精一杯なのに、誰か「人のため」に行動する時間はあるのか、当人の野心や夢はどこにいくのか?

確かに時代背景を捉えながらも、潜在的な疑問はどこかで置き去りにされたままだ。マイホームを買うことが目的ではなくなった今、僕らは何を目的に生きていけば良いのだろう。



新宿バルト9『ストリートダンス/TOP OF UK』監督:マックス・ギワ、ダニア・パスクィーニ
典型的なスラムダンク型の映画だが、MVともテレビドラマともとれない、独特な質感が非圧縮のデジタルシネマの相応しい。ややご都合主義的に進むドラマも、バレエの先生が生徒にストリートダンスをやらせる辺りから急激に微笑ましくなり面白くなる。つまり安西先生方のとんでもな方法論だが、やはり生徒を見捨てることを決してしないこと、そして周りの保護者や生徒に断固とした決意を見せるその凛とした素振りが素晴らしい。そしてその言葉と鋭い眼が、教師としての一つの鏡のようでもある。極めてオーソドックスな作り、物語ながら、この作品はMVともドキュメンタリーともとれない単独で映像作品として成立してしまいそうなダンスそのものが最大の売りだ。圧倒的に強いチャンピオンチームに主人公の元カレが嫌らしく加わり、まさに最強チームが目前にある中で、バレエとストリートの混成したチームは自分たちの出来るダンスをやろうと、バレエとストリートのコラボダンスをすることになる(この展開があまりに読め読めで逆にニヤけてくる、裏切られるこのない嬉しさのようなものを内包している)。ダンスバトルはさながら映画というよりもテレビのリアリティショーのようだ、だが正確に撮られた映像はMV仕込みの的確さと抜群の切れ味。さらにストップモーションで一瞬マトリックスのような演出が何度も繰り広げられる(機材自慢のようなものもするけど、身体性と機材の進化が見えた新しさでgood)。ダンスバトル単体ではyoutube映像として驚異的なアクセス数が出そうな映像。単一の映像だけでも勝負出来る者に、極めてベタなドラマ性を付随させ、デジタル上映の映画として興行にしてしまうという、意外と新しい試みなのではないか。身体、ドラマ、映像、人類映像学的に重要なテキストではないだろうか。

バルト9ではアメリカンティーン、ティーンエイジ・パパラッチなどのドキュメンタリーをある意味で独占上映のような形で上映していたが、今作もそんなデジタル上映の最新青春映画としてバルト9に相応しい上映を見せてくれた。