恋だの愛だの

■7時くらいに寝る。ウダウダ寝ていたらTOHOに行く体力もなく、編集を続ける。京王線に乗ったら久しぶりの事故で遅れる。

■のっぴきならない理由で恋だの愛だの考えるようになった。『ラブ・アゲイン』を見て自分の今やりたい志向はロマコメだとハッキリ分かったから。それは同時に自分が不足している何かだから。ちょっと気持ち悪いことを書こうと思う。されど大事なことでもある。

自分がドキュメンタリーを卒業制作にしたのは、脚本がかけなかったからということと、演出をするという方法論をとることが出来なかった。今考えると恋だの愛だの、割と苦心していたことも多く、自分自身はストレートな感情しか表現出来ていなかったと猛省したくなる。

デートプランをたてるのも、結局のところ如何に粋な演出をするかということだ。粋であればるほどに、大人でしか味わう事の出来ない深みを堪能するだろう。そんな「粋」が自分にはとことん足りない。つまり演出が出来ない。演出が仕事なのに。私のディレクション、編集作業は引き算。あるものをただ見やすくし、その本質まで削る作業。だが師匠は言う

「足し算の編集がない」

その通りである。何故ならデートプランがたてられないから。粋な計らいなんてしたことがないから。いい加減そんな些細なことがこれまでの人生の映し鏡だと思うと恥ずかしくなってきたものだ。今年は粋な暮らしをしないとなのだ。