手を動かす

■シネマハスラー、サウダーヂを聞いて興奮する。その映画の読解がここまで面白いとは!!これぞ映画なり!

■久しぶりに大量の素材と格闘する。構成に悩む。

新宿武蔵野館『密告・者』監督:ダンテ・ラム
前半部、不自然なスローモーションや散漫になったルックが目立ち見所が分からなくなるのだが、物語が収束するにしたがってこの映画のテンションの高さに気付かされる。いわゆるおとりとしてある男がイヌになるという、タランティーノが好むようなクライム・ノワールものなんだけど、一つ一つの演出がとても叙情的に仕上がっている。やり過ぎかと思われるくらいで、全体の不釣り合いがひたすら目立つのだが、ラストの椅子だらけの廃校での格闘シーンでそれらの意味が分かる。それぞれの主人公には何らかの守るべきものがあって、それらは特に物語りの軸としてさして重要ではない要素。だからそれらの説明描写を、妙なタイミングで出す事に違和感が発生するのだが、ラストのシーンの凄まじさと、ある人物が死んだ後に更に叙情的な演出(ジャズのような曲)がそれぞれの叙情的な出来事を一層定着させ、泣かせてくる。これは何だろうか?と考えると一つに映画でしか表現することの出来ないロマンではないかと思う。カットバックによる回想や、死んでいくことで見えるもの、それを見届けるもの、人物の思いを映像は半ば強制的にでも交錯させることが出来る事を示している。上手くはないのだが、それが映画の味になることさえあるし、予期せぬ感動を生むこともある。この作品はどこかでまだ編集の余地さえあるような作品なのだが、この時系列や選択をし、香港映画というジャンルになりきることで、独特の快感を与えるということを示している。浪花節過ぎる映像の羅列も、浪花節なラストを迎えることによって感動の向こう側に行く事があるのだなと、ラストの歌のシーンで感じた次第。