『ウィンターズ・ボーン』

■映画をまとめて見る機会を得て日常生活に戻ると、とんでもない寒さと支払いをしなくてはいけないお金のこととか、自分の健康状態がふと心配になる。それだけ現実に戻された気分にされてしまうのだけど、日常が映画に毒されてきているというか、その境目が分からなくなるかのように摩訶不思議なことも起こり始めてきた。

新宿武蔵野館ウィンターズ・ボーン』監督:デブラ・グラニ
アメリカの闇。厳しい田舎の風景。フィルムからもその環境で生きることの過酷さがひたすら伝わってくる。その風景は間違いなく地方都市独特のもので、都会暮らしの人間にはおよそその環境で何かをすることの厳しさに、自分の環境を有り難く思えてしまうほど。だが圧倒的な広い空間なのに限定された空間という意識が感じられる。何故だろう。この田舎から出られないような宿命のようなものをリーから感じるからだろうか。トーンは全体的にやや暗い。暗いというのは、ありのまま撮った結果という感じで、意図的というよりむしろその世界の避ける事の出来ない暗さのようなもので。「ツイン・ピークス」にも似たその土地にいる人々の謎や、街全体が何か隠し事をしているかのような雰囲気。これは日本では新中野に行ったときに感じた感覚。

ジェネファーローレンスがひたすら素晴らしい。健気な背格好ながら、心に中指を立てながら大人共にも果敢に喧嘩腰で接する。その説得力というか田舎に住んでいる人々独特の肝の据わり方の表現がピカイチだ。スターの条件は変わりつつある事を予感させる。ジェネファー・ローレンスの良いところって圧倒的に等身大だからだ。ぽっちゃりしているし、これといってダントツに美人というわけでもない。ただそんな人たちには表現出来ない隙間を素朴なジェネファー・ローレンスだからこそ表現出来る女性像が今まさにアメリカ映画の題材として増えているのではないか。都会に住む女性ではなく、あくまで郊外に抱える問題を背負える女性。そんな印象だ。

この作品が各映画賞で絶賛されている理由を紐解いてみると、インディーズ映画特有の景色やある種の「底辺」を描いている点だと思う。「底辺」とは文字通り底なのだけども、「底」にいることを背負ってしまった人たち、一般的に幸福とは思われないところの隙間の中に、人間讃歌を見いだしていく作業だと思う。この作品にはそんな郊外で、弟、妹を育てる覚悟と、親父を探す覚悟と、17歳という年齢ながら強制的に「強く生きる」ことを強いられることになった若き少女の物語だ。

インディーズ映画ってよくも悪くも今っぽくない。低予算故の表現は逆に映画作りの基本的なものをもう一度掘り起こしてくれるのではなかろうか。


西川口ロケ。撮影。