旧友に会う。

■会見撮影、編集。誰かに殴られたような気がする。あんまり覚えていない。

■BM社に写真資料を借りにいく。過去のポジから熱い「何か」を感じる。歴史を作るのは記録、記憶なのだと実感した。それを残すものがいて初めて生まれるのだと

■前の会社の同期であるN君と会う。彼は報道部在籍なので、普段は愛知県から出られないのだが、今回は研修で来れたらしい。久しぶりに再会し嬉しかった。映画研究会の会長だった彼とは映画の話で入社前の研修時期からよく話をしていた。僕が名古屋を去る日に見送ってくれたのも彼だった。卒制を海外に送るために作成したHDCAMを報道部の施設をこっそり使わせてくれたのも彼だった。だから互いの今を確認することは必然だった。正直彼が羨ましかった。最初の配属で報道部に配属になり、仕事へのモチベーションが高くなっている彼が羨ましかった。カメラを通して、電波を通して映像を発信出来る彼の立場が、ジャーナリズムについて思考出来る環境が羨ましかった。テレビの報道部はテレビ局員にならなければなれない経験だから、そんな経験をし成長をしていく彼が怖かった。同期という感覚は会社に入ってから強く持つようになった。何でも弱音を吐けたし、何でもくだらないことを語り合い、僕の中では名古屋で「共有」出来たのは彼だった。東京に出張をしたり社会性のある彼の仕事がとても羨ましい、けど今の僕はおそらくそれ以上に何か突き抜けたことをやり始めたことは確かだ。安定した給与も捨てたし、社会性ある立場から崩れ落ちたけど、そうしなければ求められないものもある。だからこそ彼との立場が違えば違うほど、我々が再会する意味は強いものになるだろう。

企業は簡単に変わらないということを知った事も面白い発見だった。一人の社員が辞めたって会社が大きく変わることなどよほどのことがないかぎりあり得ないのだ。歴史は繰り返される。