『アドベンチャーランドへようこそ』

■ユニオン会見。大家さんと紫雷選手の抗争は個人的に最もフェイバリットな抗争だったりする。男と女の性ともいうべき必然性と好きということは同時に何かを嫌いだったりするように、嫌いと思える事も実は好きという感情を現しているような相反する事がこの二人の関係には見え隠れするから。そのまま撮って編集。

■昨日書いた通り地元で映画を撮りたいと思っていたら、その被写体となる友人から抜群のタイミングで電話が!今、集まっているから来なよ〜と。しかし今日は家に帰る体力がないので、丁重に断りつつ映画の話をぶち込んでみたのだけども、とっても微妙な反応。そりゃ、そうだ。どんなテンションで加わっていいかわからん映画にいきなりYESとは言えんよな。ただ出演者に8割方、何かを与える以上この企画は断念気味かも。

■DVD『アドベンチャーランドへようこそ』監督:グレッグ・モットーラ
一夏の恋もの。空中キャンプさんのブログエントリーに感動して、どうしたって見たくなってしまった。舞台は87年の夏の遊園地。大学院進学のためのお金を捻出しようとする主人公が、夏に遊園地でバイトをするという導入。私も大学1年のころによみうりランド、2年のことには多摩テックとそれぞれ夏限定でプールのアルバイトをしていたことがあった。どちらの遊園地ももはや遊園地としては盛りを過ぎた感があり、郊外に取り残された遺物という感さえ漂う施設であったりする。自分はそんな中で、夏という特化された時間に限って来場する人たちを相手に接客等をしてきた。だから本作はそんな状況下でとても感情移入が出来るシチュエーション。主人公は遊園地内でも一番イケていない「ゲーム」コーナーの担当になる。そこで手ほどきを教えてくれる女の子を好きになってしまうが、その恋愛模様が遊園地内という閉鎖された空間内で生まれては崩れていく様子を示す。

作品は87年特有のダサさや、当時の音楽、カルチャーに覆われており、自分自身が80年代や90年代前半に憧れがあることに気づく。もっとも今、目に見えるもののほとんどは高精細な情報量が当たり前になっているが、この時代の産物はどこか色がくすんでいながらも、何とも言えない幸福感やデザインの暖かさを僕自身が感じていた。

遊園地の制服のTシャツのダサさ。それは全員が共有しなくてはならないものだ。だからどんなにダサくてもダサいことを忘れられる。服がどうとかという判定基準がない。「バイト先」に共通して言えることは、バイト以外で会う時間やがバイト内で会う時間と徹底して差異があることでないだろうか。

プールのバイトでも明らかに小さめのパンツを履きながら仕事をしているが、ほぼ全員が履いているためそのような羞恥心は薄れてくる。だからそんな非常識な状況さえ、常識的に楽しめてくる。

アドベンチャーランドへようこそ』は各キャラクターがそんなダサさの中で懸命に個性を持たしているし、どこか多幸感に満ちているのがいい。

遊園地の面接が履歴書を見ずに即採用だったり、さえない乗り物や遊技場の中で、その場で実況芸を見せて奥さんを作った遊園地の管理人が笑える。主人公が好きになったエムという女の子は遊園地内の青年と浮気をしている。アルバイトという責任力のあまりない仕事や生活の中で正反対に、何か問題を抱えているというケースはアルバイターにとっては多々見受けられるケースではないだろうか。バイト先で同僚と話す何とない立ち話や、経験がいつまでも人生の重要な教訓になることも多い。そんな瞬間が詰まったこの映画は実は「グラインドハウス」的な構造であることも分かる。エンドロールで流れる遊園地のCMなど当時の色調や当時のフォントで徹底的に再現されている。重要なのは「ALLWAYS」のような志で作られているわけではないということだ。監督の極私的な思い入れや体験を掘り起こしたに本作は過ぎない。大義名分などこの作品にはない。そこが良いのだ。個人的な記憶にしかない思い出アルバムは写真や映像に残していない以上、記憶の中でしか振り返る事が出来ない。だが、その記憶の強固さはさまざまな「あーしたら良かった、こーしたら良かった」などの後悔の妄想や、成長した自分が見比べるものだ。だが個人の体験はどのような壮大な物語よりもかわいらしく愛おしいものだ。それが映画というフォーマットにおいては喚起力や想像性でもって人々の心に訴えることが出来る。この作品はそんな意味では監督のセルフドキュメンタリーが原作となった極私的な思い出アルバム式映画であり、またそれらのジャンルが普遍的であることを物語っている。圧倒的な「個」の思い出が創作になり、創作がメディアになる。「個」を振り返るという事は実にクリエイションな行為だ。

大学1年の夏に彼女が出来たが2週間でフラれてバイトと学生プロレスを頑張るしかなかった日々を思い出した。あのときは面白いくらいに主観的だったし、引用出来る知識も、経験もやはり圧倒的に少なかった。あれから6年。少しは変化したのだろうか。