自主映画

■ぼちぼち新作の自主映画を撮りたいなと思っている。個人的には気は熟したというか、DDTに入ってからコンスタントに映像を作っていることと、今後DDTでも自分の役割がもっと重要になっていくことを考えると、今ここで全く関係のない自主映画を作っておいて間を繋ぎたいというか、モチベーション的にもそんな感じ。

次のテーマは自分なりの「郊外論」で、自分の地元を中心に撮ろうと思っている。郊外と言えば「サイタマノラッパー」などの傑作自主映画があるが、それらとは圧倒的にまだまだ弱い。「ラップ」や「プロレス」といった強烈な要素がないし、まだまだ定着していない要素があるし、そもそも出演者もぶっちゃけ弱いと思う。

ただ何となく撮りたい動機の一つが「一回性」で。今、この地元にこのメンバーがいるのがあと1、2年のうちという予感がひしひしとするからというのと、25歳の良い大人が、未だに実家暮らしで東京郊外に住んでいる事が実は「サヴァイヴ」する上で重要な点ではないかと考えているから。

博報堂から出された「広告」誌面でも「地元飲み」におけるあり方の変容を取り沙汰された記事があった。会社の上司と過ごす時間よりも、気概なく過ごせる地元で飲みをする若者が増えているという記事だった。その点に関して、いくつか自分も思い当たる節があるのが要因の一つ。

そんな中で自分が住んでいる「多摩市」の妙な住み易さと共同体とは何なのか?というのが僕の中でふすふすとわき上がってきた。ただいかんせんこのテーマの弱さは果たしてテーマたりえるのか、そしてこの弱さが脚本を必要としているのかという不安もいくつか生まれてきた。

ただドキュメンタリーは発見から生まれていくジャンルでもある。答えのない作り方でも製作が可能だ。それを『Peace』という作品を通じて発見した。『Peace』は何もなかった。だからこそ良かった。何もない一瞬が愛おしいと思えるまなざしと根気良く観察を続けば普遍的なメッセージが生じるということもあるということが判明した。

だから今回は何もないことでも自分は作れるかというチャレンジを課してみたいと思う。パンチは弱いけど、こんなまなざしや優しさを自分が見せれるのか、そんな幅を広げてみたい。

というわけでやるという宣言をここでした以上やらないわけにはいかなくなった。友達にメールをしようと思う。