『男色牧場CLASSIC Vol.2〜美月凛音の方程式〜』

男色牧場第2弾が完成した。単体ドキュメンタリーを2ヶ月に一本の頻度でリリースするということがようやく実行出来たわけであるが、普段の興行準備と併せながら作業するということになかなか苦心したこともありながら、完成したことにホッと胸を撫で下ろしている。

前回の安部選手のドキュメントは今にして思うと、異例であったと思う。取材していく過程で、被写体が退団を表明してしまったり、自分が東京に来て仕事を始めたばかりということもあった。被写体が同い年であったり、自分の落ち着かない心境をリアルに反映させていった。だからあの時じゃなくては撮れなかった、結果的にそんな一本に仕上がった。色んなことが落ち着かないまま、ただ一心不乱に脇目も振らず、撮影や編集をしていたような気がしてしまう。だからこそ今回の企画はそれら特殊性がない中で、どのように作り上げていくかということが試されていた。

被写体の美月の最初のイメージはやはり額面通りの「ホストレスラー」ということになるだろう。歌舞伎町でホストをしながらレスラーをしている。ホストでは殿堂入りという経歴を誇りながらも、プロレスにおいてはなかなか頭角を現せずにいる、そんな印象だった。だが、それ以外にも不動産業、歌手といった顔を持ち合わせており、自分が思っている以上にマルチな活動をしていることは取材をする過程でようやく理解していったように感じる。

私はあまり美月という男のような人に出会ったことがない。それは自分の交友関係の狭さや、人生経験の少なさから容易に判断出来る部分もあるのだが、ホストクラブで働いているような友人や、それらの感性を持ち合わせている人と交友したことはない。だからこそ美月に接する瞬間は自分自身が警戒し、緊張しているような感覚に陥ると思っていた。しかし美月は現役ホストである。お客さんと会話をすることで生業をたてているプロだ。だからそんな不安は初日にあっという間に吹き飛んだ。美月自身がこの撮影を心待ちしており、能動的に捉えてくれている姿勢でいてくれたことと、美月の軽快なトークに自分もお客になったかのように惚れ込んでいった面があると思う。

美月は撮影を通じて、とてもよく喋った。「会話をしたら止まらない」と本人が言うように、独特の言い回しで自分の価値観を伝えていった。それらの言葉には自信に満ちあふれており、この不安定な時代において、ここまで自信を持ち続けていられるのは、なかなか出来ないことではないかと思う。若干30歳にして、既に人生の何かを悟ったかのような言い回しを私は、「美月の方程式」と称して編集することにした。編集は難しかった。何かを既に悟った美月が一方的に喋ってしまうシーンは下手をするとただの説教になりかねない。本人の価値観や意識を伝えるシーンがドキュメンタリーにはあって当然とも言えるが、それが説教臭く感じられてしまえば、それを映像として伝える意味がないように思えた。少なくとも初期段階の編集では受けての印象として説教ととられてもおかしくないような気がしたので、ここは編集で意図的に崩している。とはいえそこで伝えている美月の価値観自体に変化はない。

美月の上昇志向の高さは、凄まじいものがある。ホスト業一本でも「大量のお酒を胃に流し込み、オフの時間はその酒をぬく作業に追われる」と、ロマンスの社長が語るシーンがあるように、仕事として私生活に多大な影響を及ぼす仕事をしながらも、美月はその隙間の時間に、プロレス、歌手、不動産業といった他の仕事に時間を充てている。言ってしまえば美月には休日というものがない。何かしらの活動を彼自身が望んで行っているのである。その活動を起こすモチベーションこそが美月の野望ということになる。人間にとって野望とはどの程度持ち、どの程度自らの仕事に反映させるのだろうか。それはほとんど人それぞれと言ってだろう。しかし美月の場合はその野望を持つことをアイデンティティーとして捉え、「男」として持ち合わせなくてはいけないものとして、認識している。野望を持っている男の方が魅力があると断言する美月は、その野望の分かりやすい目標として「知名度」を挙げている。新宿・歌舞伎町にいれば美月はNo.1を3年連続でとったホストとして、道を歩いていれば振り返られる存在にまで上り詰めた。美月はプロレスラーとして水道橋で声をかけられるようになり、全国区で声をかけられるようになるために、日々精力的に活動をしている。しかしプロレスラーとして重要なのは「知名度」だけではない。プロレスラーが持つ野望とは全国区としての知名度ではなく、純粋にチャンピョンベルトという分かりやすい権威が存在し、多くのレスラーがそれを目指して戦っている中で、いかに自分が主張し、観客を味方につけてドラマを作っていけるかどうかである。そういう意味で美月にはチャンピョンベルトのイメージは現状、皆無に近いものがある。むしろ若手戦線で前座でくすぶっているイメージが先行してしまう。だからこそ、美月がプロレスラーの野望として掲げているテーマや、意識にはいくつか首を捻りたくなるフレーズがいくつか出てくるのである。それこそがマルチに表現活動をするが故にプロレスに対して突き切れない美月の弱点を内包しているとも言える。

作品はある一日を密着した映像を軸に、大きく展開する。その一日は美月が歌手とホストのそれぞれの活動を慌ただしくも「当たり前」な一日として目の前に見えてくる。カメラは美月の姿をありのままに映し出す。美月はここでもありのままの「カッコいい」自分を見せる。しかしカメラが捉えるのは生々しい普通の映像である。美月が歌手として自身の「カッコいい」イメージをより抽出したPVではない。だからこそそこに一日で捉えた美月のありのままの「カッコいい」という観点は見ている人にそのまま委ねられるだろう。ここで見える美月の自意識と風景の差異については、多くを文章で修飾するつもりはない。だからこそ見ている人が持つ「カッコいい」のイメージと美月が思っている「カッコいい」のイメージが格闘するフッテージにもなっていると思う。レスラーのリング上だけでは見えることのない自意識と、視聴者のジャッジがどのようにぶつかるのか私には検討もつかない。だからこそどのような反応が起こるかはさっぱり分からない。だからこそこのドキュメンタリーを撮った意味があるように思える。

そのジャッジを美月に突きつける役を背負ったのがユニオンプロレスの大家健だ。20代の頃に失踪、自殺未遂を経験した大家は美月と正反対の生き方を過ごしてきた。そんな大家の人生の成功体験と呼べるものを探す方が難しいのかもしれない。しかし大家がファンに支持を得るようになっていった背景には、その成功体験とはほど遠い紆余曲折の人生経験をリング上で垣間見せてきたからに他ならない。そんな大家の姿が美月の目にどのように映るのか。この作品がプロレスラーの自意識問題、更には人生論、処世術にまで言及し、プロレスにおいて必要なロジックがルックスや身体能力といった要素だけでは量ることの出来ない「何か」によって覆われていることを提示してくるだろう。その「何か」の謎解きを是非楽しんでもらいたいと思う。

最後に前作とは違い、被写体になってくれた美月選手は引き続きDDTのリングで戦い続ける。この作品を踏まえて美月凛音というプロレスラーを今後も見続けていき、作品の意味を更に探求し続けていただければ幸いである。

そんな『男色牧場CLASSIC Vol.2〜美月凛音の方程式』は2011年05月04日、DDT後楽園ホール大会において先行販売予定です。

2011.5.03 今成夢人