プロレス興業

興業終わりに、徹夜明けが続いてベッドに倒れ込み爆睡していた。レスラーでもない自分が何故こんなに疲れているのか。それはメディアによる部分が大きい。

プロレス興業の仕事に携わってから早くも3ヶ月。多くのことに気づかされ勉強になることが多々あるのだが、意外と振り返る余裕もなく、次のことを考えなくてはいけなかったり。一回の興業の余韻にずっと浸かれたのはやっぱり「学生プロレス」特有のものかもしれない。プロはそれを毎週やらなくてはいけないし、次の展開をどんどん提示していかなくてはいけない。やっぱりそこは紛れもないプロとアマチュアの違いであると思う。リング上で起こっている展開は想像以上に早い。それは時代性もあるのだろうけど、多方面にアンテナを張った上でどんな話題を振りまけるか、皆が必死に試行錯誤している。当たり前だが、その現場にいれることはこの上なく刺激的だ。テレビ局の研修では制作部の現場にはほとんどいれなかったけど、見ている限りだと自分がいた局よりかはよっぽどクリエイティブだし、時代性に敏感になっていると思う。それはプロレスが時代の鏡になっているという面もあるだろうが、音や映像を巧みに興業に織り込ませ、今では電話やtwitterといったニューメディアもプロレスの組み込まれている。私が多摩美に在籍していたとき、2年次のクラス名がVAC、ヴィジュアル・オーディオ・クリエイションの略称だった。それに加え身体や空間といった要素も組み込まれ多面的な芸術創造の場を訓練する場所だった。それを考えるとプロレス興業こそ情報芸術だと言っても過言ではない。仕事では、あの音を急遽使うから集めといてとか、急遽撮影に行ってきてくれといった仕事が多い。柔軟性もさることながら、話題を常に振りまけるか、メディアを自在に使えるかという機動力がかなり重要になっている。速報性の高いtwitterが震災後に増々注目を浴びながらも、文学としての側面からの利用も感じられ多くの知識人が参加しているのも頷ける。だからこそそこにあるコンテンツやアウトプットは時代と共に変革していく。普遍的な身体こそ変わらないが、身体の周辺のメディアの多さはおそらくここ近年で最高潮を迎えているはずである。プロレスはプロレスの魅力を損なわない。リング上で起こっていることはプロレスのスタイルの変革こそあれど、基本的には変わらないものだ。だが、興業のあり方は着実に変化しているように思える。映像や音、照明、空間といった要素における強固なまでの意識。身体の競技だけでは語れない、極めて総合的な見せ物になったと言って良いだろう。テレビ番組と圧倒的に違うのはそこにチケットを買ってくれたお客さんがいること、常にお客さんの視線が介在する「ライブ」だということに尽きる。だからこそミーティングでの緊張感や、多方面からの話題作りは圧倒的にテレビの現場より上まっている。それでもっと儲かればまた全体構造が変わるのだろうが、基本的に日本の「テレビ局-広告代理店」の膨大な金銭感覚からの癒着関係は変わらないだろう。もっと本当の意味でクリエイティブな人たちが報われても良いとは思うのだが、そろそろ「儲け主義」の時代は終わり、儲けることでしかメディアを考えられない者は淘汰されていってもおかしくはない。毎週刺激的だから、どうやって自分に還元していくか考える。自然と還元されていくものだし、やはり自然と成長していくものだとは思うが、それ以上に能動的になりたい。その経験から捉えた視点や感覚を自分の創造物にしてみたいと思う。『ガクセイプロレスラー』がIFFで審査員の賞ではなく観客賞をもらったことが物語っている。作品でありながら、僕はどこかで学生プロレス興業のノウハウを意識していたに違いない。舞台挨拶では他のどの監督よりも気の効いたことを喋りたいし、もっと作品を噛み砕けるよう解説して噛み砕いて帰ってもらいたい。そんな思いが普遍的にある。

よく自分は興業の感覚を美術と比べる。大学時代にいくつかの美術展を行ったが、個人的な感覚で言わせてもらえば美術展より興業師の方が遥かに、意識が高いと言わざる終えない。根本的に作家の創作物である美術展示と、観客不在では成り立たない興業とではベクトルが違う部分もあるが、会場を借りて、そこにお客さんを集めるシステムは変わらないわけだから、そこに妥協はしたくないはずだ。美術展はその高尚なイメージが逆に自分たちのことしか考えられない雰囲気を作りだしている部分はある。根本的に言えばミーティングではエゴのぶつかり合いによくなっていたように思える。そういう意味ではプロレス興業は真の意味で壮大なグループ展でもある。

さて自分がこの間に置かれながら、このテーマを思考出来ている現在。そこからまた何を作らなくてはいけないのか、考えなくてはならなくなった。時代の流れは早い。付いていくのはひたすら身体を蝕むが、上手く睡眠をとったりして頑張らねば。