家賃とか、生活とか。

□残りの家賃を振り込む。違約金が発生し、約15万円を振り込まなくてはならない。そろそろバイトを探さなくてはいかん。

□連日映像制作のお手伝いをしているが、いよいよ交通費にも気をつかなくてはいけない感じになりそうで、ちゃんと賃金労働として何かして生活していかないと。

□先日、twitterの書き込みに対して、一件のリプライがあった。かつての会社の同期のOからで、ここのところの私の書き込みは負け犬の遠吠えのようにしか思えないという内容であった。

Oは歯に衣着せぬ発言で、同期の中でも一際目立っている人だった。実際自分が配属されたすぐ隣にいる部署でもくもくと働いていた。自分が悩んでいた時、Oに「ちょっと飲もう」と言われていた日があったが、私は会社の先輩に毎日「報告」と称したことをしなくてはならなかった。その「報告」はかなり精神を病む瞬間でもあった。ひたすら理詰めに合い、自己否定の気持ちを煽らされる。永遠と続く説教は時に深夜12時ごろまで続くこともあった。飲みの約束の時間になっても私は、会社の外に行ってしまった先輩を待たなくてはいけなかった。何度と同期のOに「ごめん、まだ先輩が帰ってないから行けないや」と謝りの連絡を入れ続けていた。Oは「もう来ちゃいなよ、そんな理不尽に付き合う必要はないよ」と言ってくれた。しかし、自分はその「理不尽に反抗すること」に内心ビビっていた。だから結局飲みには行けずに、先輩を夜11時まで会社で待ち続けていた。

そんな理不尽に従い続け、会社を辞めた途端にtwitterで反論をつぶやき続ける僕が格好悪く見えるのも当然だ。何故ならその反論を会社ですべきだったのだから。言いたいことが言えない。それは僕の悪いところだ。こうやって文章になら平気で言えるのだが、面にと向かうと対峙した時点で、相手との「格」を脳が認識してしまい言いたいことが言えなくなる。そんな点から見ても、僕とOの仕事の向き合い方には差があった。Oは言いたいことがきちんと目上の人にも言える人だった。だから1年目とは思えないほどに、仕事が出来た。そしてそんな彼女の働き具合と、良い関係性を先輩方と築き上げている瞬間を見るにつれ、自分がとりつづけていた態度、姿勢を後悔した。もっと堂々とすべきだった。もっと意見を個人の視点で言うべきだった。だからそれが後悔となって表出する。

こうやってtwitterでも意見を言ってくれる。それが嬉しかった。自分が雁字搦めになっていることに対して、辞めたのだから、もうそれには拘るなとメッセージを送ってくれていた。twitterはそんなやりとりさえ可視化する。だから私がそれをつぶやき続けたことは後悔していない。何故ならそれは「思考」をしている証拠だからだ。思考停止は何も生まないし、成長も期待出来ない。会社時代の私はヒエラルキーによって思考が完全に停止していた。思考が停止し、身体は拒否を示していた。実際のところあれはやはり鬱だった。コントロール出来ない負のエネルギーに満ちあふれていた。Oは私のつぶやきがそんな負のエネルギーが依然としてまだ続いて見えたのだという。

ここで自分自身でも理解しておきたいのは、今自分がつぶやいていることは、決して会社に対して、根を持っているからという意味ではない。むしろそこであった出来事及び思考を、何らかのカタチでアウトプットしておくことが必要不可欠であると考えているから。というか、そこにはもっと普遍的な日本という単位でのレベルでの問題が見え隠れしているから。実は私が身を持って体感したことは時代のd変わり目を象徴する出来事であり、また日本という離れ小島が生んだ、依然として根深い若者の思考停止を促すシステムなのです。

Oにはこの場を借りて、感謝している。このままOには自分の想いを会社に伝えつつテレビメディアをより豊かにしてもらいたいと願っている。そしてそのキッカケを与えたtwitterというニューメディアについてもまた改めては考えなくてはいけないと思った次第。

□これはまた続きを書かなくては。しかしどんどん面倒臭い人間になっているなとおもっている。
幸い連絡をとり続けている人から、僕の今の健康状態は良好なように思えると言ってもらえている。