2014年05月06日のツイート

先週はブラックDPGのイベントに出席してきました。ほぼ内容の決まっていないトークショーでしたが、出鱈目にあーでもなく、こーでもなく喋り楽しんできました。トークショー中に何故か成田社長がやや荒れていました。理由はDPGそのものがこれから大きな変化を伴っていくであろうこの瞬間に、変わらないメンバー間の意識や、自身のその葛藤など赤裸裸なものでした。そして僕はそれを聞いたときに他人事には思えず、僕なりの解釈と、僕なりの見解があって、そして僕なりにしっかり考えなくちゃいけない問題だなと思いました。

成田社長とは年齢は一個違い。ほぼ同世代。だから見て来た景色や、自分自身がどう成長していきたいのかという想いが彼とは凄くリンクするのです。だからこの1年半くらいは彼との会話と、彼が広げてくれた人間関係で随分と成長させてもらった気がしています。

メンバー間の意識の格差や、統率の問題などはどんな集団にも存在するものだと思います。たった一人が意識が高くても、それを指導していくリーダーシップを見せなければ、人は付いていきませんし、ちょっと前の時代で言えば、そういうものは体罰や、暴力を行使するなどして、絶対的な服従関係を強いるなどというのは当たり前にあったと言われています。もちろん全ての事がシステマチックに機能するはずもなく、僕の中には根性論のようなものでしか解決出来ないものもある、仕方なしのサムシングがあるということがどうしても生じてしまうというのが28年生きてきての個人的な見解です。

誰しもが高給をもらいたいし、やりたいことをやりたいし、充足感を味わいたいし、で皆闘っているわけですが、その全てを選択出来るほどインディーズというのはそれほど選択肢がある生き方といううわけではない。

そんな中で最近の自分の話をすると、僕もとても過渡期にいると自負しています。まずは食事の面ですが、お昼のランチにかけるお金が増えました。これは単純に吉野家の牛丼や、すき屋の牛丼では満足出来なくなってしまったからです。もちろん選手としての食事面でのタンパク質の摂取を気にかけているとか、そういうこともあるんですが、概ね昔はそれを食べていて満足だったものが、それを食べても満たされなくなってしまったからです。

大学に行っていたとき、メディア起業論という授業がありました。これは毎週担当する講師が変わり、如何に芸術表現で食っていくためにどうするかという議論がなされる講義授業でした。その中で、最終的に僕が入った研究室の先生である佐々木成明先生が言った言葉がとても印象に残っています。

「ある時期になると、昼飯に食っていた吉野屋の牛丼では満足出来なくなります。しかしそれが成長です」

つまるところ、お昼ご飯にある欲求を満たすための欲求がアップデートされた瞬間に成長は生じる。自分自身の味覚でしょうか、舌の問題でしょうか。しかしながら、僕はそれが一つの真理だと思えました。

そんな状況にいる僕は映像が料理に置き換えられる瞬間があります。映像は極めて料理っぽい。素材があって、それを編集という調理を加えていく。エフェクトは時に塩胡椒ですし、素材の組み合わせによって違う味が生まれたりする。面白いですね。それが映像の面白さ、作り手側の面白さだと思っています。

ちょっと脱線しますが、当然手間ひまというのが存在します。映像に限らずですが、クリエイティブの仕事は実際にかけた時間に比例してクオリティーのアップが見て取れることが多々あると思います。至極当然なことですが、これには凄くエネルギーを要すると思います。個人的見解で言えば、僕は編集という作業は結構年をとるとしんどい作業になるんじゃないかと思っています。編集はかなり肩が凝ります。さらに睡眠時間も削られ、カラダ中に相当な気怠さのようなものを生じさせる。僕は今この時点で結構ヤバいなと思っているくらいに首、肩がヤバいです。さらにウェートトレーニングも最近は凝ってやっているため、さらに筋肉への負担は大きくなっていると思います。なので、もっと計画性をもった休息をとっていかないとやべーなと感じています。

ですが、やっぱり不眠で頑張るとか、若い人にしか出来ない感じもある。年をとるとそういう作業が中々しんどくなってくるというのはよく見受けられます。当然ですが、家族の存在もあるでしょうし。そういう意味では僕はまだ自分のことしか考えられていない野郎だとも断定出来るかもしれません。しかしながら不眠不休で頑張らなくちゃいけないのは今だとも自負しています。何故なら人より才能がないからです。才能があると自覚出来ることが圧倒的に少ないと思っています。

大学時代に、映像がやりたいと思ったのですが、圧倒的な才人たちの集まりに僕は既に敗北感で満ちていました。そこで自分の中でバケツの中から水がこぼれて来るような感覚になるまで、映画を沢山見ようと決意したのです。そうすることで、自分の趣向や、自分の評論のようなものを持てるようになりました。当然ながら、自分に水を与えることの意味を、自分自身が自覚して行わなければやはりその作業に意味はなくなってしまう。圧倒的な自覚を持つことで、何とか頑張れました。

自分はたぶん「継続」「粘り」「量」でしか勝負出来ない気がしています。クオリティーを提示するには「量あっての質」という概念を持ち出すしかないし、「継続」や「粘り」とは通常の人ではそこで終了してしまうようなことを終了とせず、引き続き行う姿勢でしかないと思っています。つまり家に帰る時間に帰らず、残って作業をすることです。まぁそれは多分家族をもったりするとかなり家族に悪影響を与えてしまうので、考えものだとも思いますが、今の自分はそれを頑張るしかない。「量」という概念で言えば、カット数の多さであったりですとか。まあ例えばそういうことですよね。

当然、これは僕の中で今の自分の姿勢として打ち出せることであって皆がそうではないということです。だから、僕は僕の価値観で集団を組織することは無理だと思っています。多分僕の今の姿勢で組織を作ってしまえば、不満は出るし、破綻する。だから僕は自分の作り方を他人に強制はしないようにしています。だから今の自分が担当しているものに関しては、責任を持って自分のアプローチをしていると言えると思いますよ。

今年29歳。毎年勝負だなーなんて思いながらも、結局は「継続」することの強さしか見出せなかったとも思えます。腐らずにやっていたから今年は沢山のチャンスにも恵まれているなとも思いますし、まさに辞めなかったから出来ていることが今出て来ました。トレーニングもやはりそうでした。いきなり大きな筋肉になることはあり得ない。継続してジムに通う、継続的にプロテインを飲む。そうするとカラダが変化してきました。僕はやはり継続の中でしか価値を作ることしか出来ない。だから自分はあんまり飛ぶ級が好きじゃないんですね。きっと。そういう意味では今やっているさいたまースラム!も継続の作品だと思っています。どれくらい続けられるか分かりませんが、継続して見せる。やっぱり連続性の強いものだと思っています。そういう意味ではあんまり映画とか向いていないのかもしれませんが、やはり一年なら、一年とかそういう単位でも良いから作品性が浮き上がってくるものにしたいと考えています。

それで話を元に戻すと成田社長が悩んでいるのは、まさにそういう部分ともとれるわけすよね。継続してくことで、今生じている過渡期というタイミング。しかし継続性にかなりの飛び級としての仕掛けを施して来たDPGには、そのズレが生じて来ている。恵まれたユニットだからこそ、当たり前のことが見えなくなって来ているという成田氏の主張はなるほどと思いました。

両国国技館からスタートしたことによる錯覚。著名な人とのコラボをすることで生じる自らの底上げの錯覚。話題を欠かさない成田氏による仕掛けなど、それは確かに「当たり前」以上の何かで満ちているとも言えます。

だからこそ、過去の自らのバンドを例の取り、もう同じ過ちを犯したくないという成田社長の悲鳴はとても共感出来てしまいます。彼の行動力そのものも、普通の人ではあり得ない行動力なのです。だからこそ、成田大致と一緒にいれることを当たり前だと思ってはいけない。俺はそういう意味で社長と友達でいれることが僕にとっての財産だとも言えます。何故なら俺には行動力がない、こんなに刺激がある業界にコンタクトを取れる友人や同世代はいませんでした。だから今回制作した自分のMVもこんな機会を与えてもらったと同時に、成長する機会を与えてもらい至れり尽くせりだったと今は思っています。

http://ameblo.jp/dpg-mamono/entry-11841608942.html

このブログのエントリーはとても示唆的で恐怖すら感じますね。お別れという表現なんて、恋人同士で考えれば恐怖もののワードでしょう。でも彼はそれくらいの覚悟で臨んでいる。僕はそれを端っこから覗いてどこかで楽しんでいたのかもしませんが、そんな彼の意気込みを見たら、俺も何かしらの意気込みの姿勢を見せなければ、俺のアティチュードを見せなければバカなんじゃないかと思えて来ました。

俺も地下で良いなんて少しも思っていない。とは言え、地下でしかいられなかった自分がいました。何故なら地上波テレビに就職しても自分がダメで挫折してしまったからです。人間関係や自分自身のイケていなさ、覚悟のなさ。そういうのが表出していました。

しかし東京に出戻って4年。気が付けば地上波で一人で番組制作。それでも視聴世帯は限られている。それでもやりがいはある。ここで何か爪痕を残せるかもしれない。いや残す。

気が付いたらレスラーになった。しかし、注目されない?ファンがいない? でも俺は俺の闘いをしたい。誰にも媚びたくないし、俺はリングで嘘を付きたくない。上手いことで立ち回りなんかしたくない。俺は俺が中学時代に見たプロレス興行の興奮を俺が自らのカラダで感じたい。工夫はするけど、なりたい自分にはここでなりたいと思う。

そして坂井さんというスター。憧れ。先輩。
プロレスと映像を二つやったというモデルは坂井さんしかいませんでした。そして俺の今の状況を真に理解してくれたのもやはり坂井さんでした。坂井さんは僕にとってビートたけしみたいなものだということがようやく分かりました。

「今成程度の創造性」と思われることが悔しい。俺の創造性は誰かの創造の範疇の中の創造だなんて悔しい。俺は思い描いてることが、俺の劣等感が刺激される。悔しさこそが原動力だ。悔しいことを表に出せなかった。舐められて、喧嘩さえ負けてた俺が嫌いだった。でも今だったら喧嘩してやる。売られたら買ってやる。

Visonが。頭に浮かぶ景色。今で満足していない。日本の風景。今食べている味で満足していない。もっと見てみたい。感じてみたい。80年代、90年代にあった熱気。カルチャーが、男が、女が、音楽が、映像があった。もう一人では限界かもしれない、年齢にも限度があるかもしれない。でもきっと辞めちゃったら負けだと思う。意地がある。

ライバルは広告の日本代表になっていて、ライバルは武道館でライブをして、ライバルは映画を出資されて作ろうとしている。自分の回りは刺激あるライバルだらけ。自分だけが届いていない。届いていないのは嫌だ。もがいても届かせるしかないですよ。あの人にも、アイツにも、あんなやつにも舐められている。舐めてるヤツら全員を驚かせないと。

踏ん張りますよ。