思想と映像に見る、『思想と映像』

ずっとV作ってます。私生活でも気が狂いそうになることも多々あるんだけど、V作りながら、私生活で狂いながら、最近は思想が鋭角な感じになってきている。ちゃんと自分の中で思想がしっかりあるというか、かつその思想をどうVTRにしていくかって感じで。

今回制作しているのは佐藤光留さんのVTRとメインイベントのVTR。結論から言うと明らかに前者の方が作りやすかったし、自分自身が煽り煽られた。何でかっていったらそこに思想が孕んでるからです。光留さんにはブレない思想があり、生き方を見せてくれるからですね。

俺がやりたい映像というのは思想を映像で表現することなんだって最近分かりました。だからただの紹介Vなんて面白いわけない。思想がある人の言葉や姿を、もう一度今成の思想で噛み砕いて映像に表現する。そういう意味では凄く気付かされました。

昨日の青木真也さんのTwitterにこう書かれてました。


勝ちたいとかどこの団体に出たいという事だけで自分がどう生きていきたいかというのが見えない選手のインタビューって申し訳ないけども読む気になれない。俺がスポーツ選手に求めてるのはどう生きようとしてるか。


@toikatu 全然乗れないんですよ。。どう生きようと言うのが見えて来ないから魅力も感じる事が出来ないんです。ああ。ただ強い人とか上手い人なんだって思うだけで見てみたいとは思わないんです。

お疲れ様です!なぜ勝ちたいか、なぜそのフィールドに立ちたいか…なぜ?なぜ?の思考プロセスにフォーカスしきれないメディアがあるのも物足りなさの要因かなと笑@a_ok_i

どうなりたいか?何を魅せたいか?のビジョンが見えない選手には魅力を感じない。ビジネスもそう!RT“@a_ok_i:全然乗れないんですよ。どう生きようと言うのが見えて来ないから魅力も感じる事が出来ないんです。ただ強い人とか上手い人なんだって思うだけで見てみたいとは思わないんです。


何か分かりますね。色んなインタビューをしてきたけど、やっぱり「勝ちたい」って言葉ってもう当たり前であって、それ以上に生き方を提示してくれるからこそ、もっと前のめりになるわけで。やっぱりPRIDEのVTRがそれこそ語りぐさになるのは、まさにそれがしっかりと描写されているからだと思いました。

俺自身がガンバレ☆プロレスで選手になって分かるんですけど、もっとプロレスラーは考えなくちゃいけないですよね。生き方を提示出来るんだから、プロレスの上手いヘタとかじゃなくて生き方を提示してくれと。紋切りの「勝ちたい」「負けたくない」を言い続けることに意味があるのかな?ちょっと思うんですよ。レスラーなんだから勝ちたいのは当たり前。ガンプロが実生活を反映させてるから乗れるとか、そうじゃなくって生き方を提示すればインディーズでもスペクタクルのある闘いが出来るっていうことですよね。つまるところPRIDEというのはそれを見せる選手と、演出側が噛み合ったわけだと思います。言ってしまえば昭和プロレスもそうだし。

言葉で全部のレスラーが言えるとは限らない。それこそ寡黙にリング上だけを見てくれと言う選手もいて良い。でも思想や概念が提供出来なければ「ごっこ」になってしまうと思います。もちろん今の時代は「それで良い」なのかもしれません。けど俺はそんなもの見たくない。

プロレスがファッションになってしまうことが怖い。人気取りのゲームになったら、俺はプロレスに能動的に参加出来なくなると思います。そうなってしまうのであれば、俺は辞めてしまうと思う。Twitter時代に情報が矢継ぎ早にだだ漏れになる時代において、思想がベースにないプロレスはどうなってしまうのだろう。

俺がガンプロで闘うことも、Vを作ることも警笛である部分があるような気がします。だって映像作ってリング上がってる人間の方が闘う理由あるってどういうことだろう。プロレスラーは闘いが職業なんだから、闘いに意味与えられなかったらそれは思考放棄じゃないのかな。

どんなに「勝ちたい」を連呼している被写体にさえ、生き方を見せてない選手にさえ、腕の良いディレクターなら意味を与えなくてはいけないと思うんですが、やっぱり最終的には本人自身なんじゃねえかと思います。俺らがユニオンに対抗戦を仕掛けるのも、そこですよね。そもそもお前らに闘う理由あるの? 月に一度興行があって、それでやるんです。そこに意味を自分で見出せなかったら誰が見出すの。

マスコミ? もう期待出来ないですよね。勢いがないですし、書き手がそこまで面倒見る必要はない。

団体フロント? 忙しいですよね。運営だけでいっぱいいっぱいだと思います。

煽りV? 煽りV頼り?大事な要素だけど、それがなくても見せれる闘いは理想的だ。

話題を振りまいて話題が消費される。いやだから、お前はどう生きるの?何を持って闘うの?
本質的な闘う意味が薄れている気がしてならないというか。

それをお前が言うなというのは至極真っ当なんだけどね。でも最終的にもっと一般層巻き込むのはそれを見せている何かなんじゃねえかと思うわけで、これからもそれが何なのかって考えながら闘うしかない。