『×』

「ウッシシシシシ、ガハハハハ!」
巡業バスに下品な笑い声がこだまする。
僕の笑い声だ。

その日はDDTの九州ツアーの真っ最中だった。

「ばってん、何か芸やれよ」
高木社長が同乗していたばってん多摩川選手にバスの中にいるレスラーに向けて賄い芸をやるようばってんさんに指示した。

ばってんさんはちょっと引きつった顔をしながらも、そそくさと鞄の中からちっちゃな大学ノートを取り出した。どうやらそれはネタ帳のようだった。ごっついレスラーたちが思い思いに時間を潰す中、ちょこんとバスの椅子に座りネタ帳を真剣に見ているばってんさんは何だかちょっと滑稽で可愛らしく思えてしまった。

ネタが始まった。
「ウシシシシシシシシ」
しかし笑っているのは僕だけだ。

しかし他の皆は笑わない。ネタがつまらないのだろうか。全く微動だにしない。
確かに全部が全部面白いネタというわけではなかったが、僕は笑いをこらえるに必死だった。

寒々しい空気がバスの中を支配した。
高木社長tweetをした。「ばってんがバスの中でネタを始めたのだが、今成しか笑っていない…。」
返す刀で「ばってんと今成はギャグセン低いですから」なんてリプライもあったりした。

「そうか、僕はギャグセン低いのか…。」なんて思いながらも、僕は笑ってしまったし、実際のところ自分はそのネタがやっぱり面白いような気がしていた。その空間自体を考察するとネタが何故つまらないのかというよりかは、僕なりに面白いツボがあったような気がしたのである。

そのネタは後楽園ホールの落書き階段をネタにしたもので、有象無象の落書きのキャプチャー写真をフリップにしてばってんさんがツッコミを入れるというネタだった。

後楽園ホールの落書き階段。それは一体いつ書かれたのか、そして一体誰が書いているのか全く分からない謎の異空間である。壁の全域を埋め尽くすの落書きにはありとあらゆるプロレスラーや、プロレス団体などのツッコミや、時には訳の分からないイラスト、そして時にまったくもってプロレスとは関係のない落書きまであったりと、とにかくその異様さでもって後楽園ホールの一つの名物となっていた。それはまるで2chなどの匿名掲示板が現出したかのような一種の現代美術のような存在感を放っている。

後楽園ホールの落書き階段は自分にとってとても馴染みがある。
プロレスが好きで金がない少年だった僕は、一番安い席である後楽園ホールのバルコニーの場所を確保すべくいつも後楽園ホールの落書き階段に並んでいた。しかし開場まで時間がある。だいたいこういう時は決まって落書き階段を眺めながら時間を潰すというのが僕にとっての恒例行事だった。

邪道
外道
北海道…飯塚高史
ヌー道…井上貴子

「うわぁ、くだらねぇ。。。」

とか思いつつ、何故かそれが妙にくすっと笑えてしまう。やっぱ俺はギャグセン低いよなあ。でも一体誰が書いたんだろうかとか、これ書いたヤツは超イケてるギャグを思いついたとかで、テンション高めで書き殴ったのかなあとかあれこれ妄想してしまう。そうするとよく分からないけど、それはそれで面白いような気になってくる。

そんな記憶が自分の脳裏には刻まれている。
ばってんさんの落書き階段のネタはかつての幼少期の記憶を刺激させるものだった。


それでもバスの中にいる人は誰も笑わなかった。
僕はそれでも面白かった。ばってんさんの落書きのチョイスも秀逸だったが、更にばってんさんがキレ芸でその落書きに突っ込むので、その真っ当なツッコミ(落書き階段の突っ込みツッコミに加えてばってんさんの突っ込みという二重のツッコミ)に共感しながら

「うわぁ、くだらねぇ。。。」

とか思いつつ笑う。

しかしながらバスの空気は変わらなかった。バスは凍てつく寒さに震えながら次の会場に向かっていたのである。

僕はそれからというもののばってんさんの面白みについて誰かと共感したかったが、「多摩川さんは面白いっすよ」と言ってくれたのは後にも先にも木曽さんだけだったような気がする。(木曽さんがばってんさんの面白味を感じてる焦点は僕とは若干違うような感じだけども)


ある日、事務所に行ったらばってんさんがいた。えらく落ち込んでいたようだった。しばらくして僕の顔を見るや
「今成さ〜ん、今成さんにもいてもらいたかったすよ!今成さんいたら心強かったのに〜!」

どうやらばってんさんはギャグ100連発という企画で大スベりをしてしまったらしい。
その落ち込みようったらなかった。ばってんさんはスベるということさえも、自分の武器に出来ているし、”面白くないという状況”を面白く見せれる人だと思っていた。だから本当の意味でスベりまくったんだろう。

だからといってもし自分がもう少し早く着いていて、ばってんさんのギャグを見たとしても笑っていた保証はどこにもないし、自分がいたところで場の空気が変わっていたという保証もない。それでもばってんさんがそう言ってくれたことは僕にとって何だから嬉しい出来事でした。


ばってんさんとはよく会場やロケで会うようになった。
ばってんさんはよく
「どうせ何やってもしょっぱいんだからさ」「どうせこんなことやってもしょっぱいっすよ」
と言っていた。

ある事柄についてばってんさんがその何かに対して過剰に期待するような事はないのである。
時おり人生そのものを達観しさえして、皮肉を言いまくるのだ。そして期待しない。どうせそんなもんだよと。

そんな姿を見て「ばってんさん、ウディ・アレンみたいすよ」
なんて言った事があった。

ウディ・アレンもほとんどの作品でアレン自ら演じる主人公のほとんどは皮肉屋だ。
「どうせ人生なんてそんなもんだよ」
という台詞や言い回しが非常に多く出現する。
アレン自身も元々はコメディアンであるが、自らの人生観を作品に投影しており、そんな部分がちょっと似ているなーと思った。(作風は全然違うしけど、極地的に見れば価値観は似ていると思う)

「いやー、嬉しい事言ってくれるじゃないっすか、今成さん」
そうばってんさんは言った。




それから時間はしばらく経って

ばってんさんは「中途半端な自分を変えたい」と大家さんに直訴しに来た。
大家さん、ばってんさん、僕の3名がガンバレ☆プロレスの旗揚げメンバーになったのだ。

3人がそれぞれがガンプロをやる理由がある中で、「中途半端な自分を変えたい」という目標のばってんさん。でも僕は中途半端な生き方をしているとは思えないし、むしろ僕はばってんさんを尊敬している部分があった。

それでもばってんさんは自分がそう自覚しているからこそ、プロレスに正面から取り組もうとしたのかもしれない。その葛藤や思いがどんなものかはばってんさんにしか分からないことだから、僕は想像することしか出来ないけど、僕にとってばってん多摩川が一緒にいるということは何より心強かった。

しかし根が皮肉屋だから、頑張っている自分に違和感を感じてしまうのか、
僕が発する言葉にばってんさんは
「俺はそんなこと言えないすよ。今成さんのコメント聞いてたら自分のコメントが情けなくなってきました」
と自分を卑下しはじめた。

大家さんは「人と比べるな」とばってんさんを説得させ、自らシングルマッチで闘うことでばってんさんに頑張ることの意義を伝えていった。
そこにいた誰もがばってんさんはやれば出来る人だと思ったに違いないだろうし、それに応えるファイトを見せてくれただろう。

しかしばってんさんはある日、僕らと一緒にプロレスをすることを辞めた。
「いつまで経っても頑張っても報われない」
そう言うと彼は浪口修の側にいるようになった。

確かに一体いつ報われるのだろうか。本当によく考える。頑張っても頑張っても結果は出ないし、生活も変わらない。時が経てば経つほどに変化するのは回りの人間たちだ。俺だって伊勢丹で服を買ってみたい。しかしいつもユニクロの辺りをウロウロする。ユニクロをウロウロしたらGUをウロウロする。生活の中で消費出来る限界値もいつまで経っても変わらない。そんな中で友人たちはマンションを買い、結婚をし、昇進し、旅行をし、倍以上の給与をもらう。自分は時間に対してどう向き合えば良いのか分からなくなる。

飲み会で「今成さんは半分で良いよ、だって低収入でしょ?」と言われる度に心が苦しくなる。俺だって皆と同じくらい飲み食いしてるんだから同じ金を払いたい!と心で思ってても、それに甘えてしまうのが僕の現実だ。現実として僕は間違いなくルーザーとして世間と対峙している。

ばってんさんが強くなるための近道として、僕らと一緒にいないことは至極真っ当な選択だった。
僕にはそれを言い返す強さも、彼に対して説得をするような生き方もしていない。だから自分が何を言っても響かないのは事実だった。バッドテンションTAMAGAWAとなった彼から発せられる言葉に僕は返す言葉が見当たらない。
「いつもミスばっかしてんじゃん、負けっぱなしの人生じゃん」


しかし大家健はそれでも彼と向き合おうとした。
ばってん多摩川が好きだからだ。一緒にプロレスをし、プロレスの話をし、一緒に苦楽を共にしてきたばってんさんにもう一度頑張ることの意義を頑に伝えようとした。


大家さんのその不器用なまでにまっすぐな気持ちは時おり恥ずかしくもなってしまう。しかしながら、本当に夢なきこの時代に、僕はプロレスがメジャースポーツになる瞬間を見届けたいと思ってしまう。プロレスの黄金時代が再来するのを期待してしまう。そして何よりも、僕は全然夢が諦められない。だからガンバレ☆プロレスがなくてはいけないし、これからずっと走っていかなきゃいけない。世間と闘っていくしかない。どれだけバカにされようとも、諦めたらもう単純に全てが終わってしまうから。


ばってんさんは大家健の言葉に再び呼応した。しかしそこには残酷な理由がありました。ばってんさんは東京を去らなくてはいけない。福岡の実家に帰らなくてはならないというリミットがあったのです。福岡に戻っても東京に呼ばれるようなレスラーになるためには、強くならなくてはいけない。そう言うばってんさんは手段を選ばず勝ちに拘るファイトをしていた。勝利をもぎ取るためには、奇麗事では済まされないようなことも時としてあるだろう。しかしだからといってこの現実はひらすら残酷過ぎやしないか。

ばってんさんが今後どう生きるのか分からない。福岡のほうに住んでいても芸人やレスラーを続けるのか、東京には来れるのかどうか僕には分からない。でも残り少ない東京生活で、僕はばってんさんに何かを刻みたい。

今でも僕がAD業で疲弊しきっていた時に、自分がばってんさんにかけてもらった言葉が忘れられない。
「うわ〜。。俺だったらぜってえーやりたくねえ!!」

凄い言葉だ。普通だったら労いの言葉なんだろうけど、俺だったらそんな仕事やりたくねえって言っちゃうんだもん。
でもそんな言葉がばってんさんらしくて嬉しいのです。俺は人がやりたくないことをやっているんだから、ここで俺が辞めちゃったらダメだと思えた。本当にばってん多摩川というキャラクターに笑い飛ばしてもらった瞬間でした。

奇しくもばってんさんもテレビ関係の仕事を脱サラして芸人とプロレス活動をしている。自分も同じで、テレビを辞めて映像とプロレスをやっている。そして僕も自分の映像がスベらないかいつもビクビクしている。スベるのは怖い。本当にスベりたくない。お客さんは厳しい。けど闘わなくてはいけない。ばってんさんも自分も頑張らなきゃいけない理由は同じだと勝手に思っています。

リミットがある人生はどうなんだろうか。切ないのか、悲しいのか、それとも「そんなもん」なのか。皮肉屋のばってんさんが同時に”圧倒的に避けられない現実という皮肉”を目の前にしている。こんな状況少しも笑えないだろう。けどばってんさんはどんな状況でも自分を貫いてきた。自分が笑われることから逃げてこなかった。人が嫌がるような役回りを嫌な顔せずにやってきた「ばってん多摩川」は誰もが認めるところだと思う。だからそんな多摩川さんに、自分の人生をぶつけさせて欲しい。俺も強くなったと思うから。だから大好きなプロレスで会話をしたい。後楽園ホールの落書きをネタに出来るくらいプロレスが大好きな多摩川さんに、自分の人生を感じとってもらいたい。

もしかしたら僕らの試合はスベるかもしれないけど、スベったとしても人生が「こんなもん」だなんて思いたくないんです。きっとばってんさんも自分も「こんなもん」だって思っちゃったらその時点で負けちゃうから。人生にも自分にも。

子供の時にプレイステーションを買ったばっかのころ、ボタンの配列がスーファミとほぼ一緒だったんで、×ボタンをBボタンとよく言い間違えてた。でもあながち間違っていないというか、ばってんさんの試合が自分にとってBダッシュになれたら良い。ばってんさんにとっても。これから僕らの人生が加速しはじめますように。



今成夢人 vs バッドテンションTAMAGAWA



11.29市ヶ谷ではとことんプロレスをしましょう。