ウォールフラワー

ウォールフラワーについて熱がこもっているうちに書かねばなるまいと思って。もうすげー良かった。細部の演出がどうとかではなくて、共感の幅広さと、自意識のバランスがとても良いんですよね。共感っていうのは単純にスクールカーストの下部にいるっていうことではなくて、人生において「居場所を見つけた」と思えるその一点を見事に昇華させているところだと思います。逆に言うと生きやすさって居場所を見つけられるか、見つけられないかで相当違うもんだというのがこんな私でも個人的見解としてあったわけなんですが、その居場所を見つけた時に宿る人生の輝きが、絶妙な自意識のバランスで保たれている←これめっちゃ大事だと思う!

演者の自意識というのは本当に難しい。言わばナルシズムのバランスってことなんですが。自分がイケている、自分に陶酔することって実は悟られてしまってはいけないものだと思うんですね。これを強く思ったのが、今月見たあるライブのMCで「こんな僕、映像で見たらカッコいいと思ってしまったんです」という自惚れの演者を見て、猛烈にノレなくなったことがありました。それがエゴイストなキャラだとか、それがそういう煽りとして活きるなら良いんですが、何者でもないインディーズのやつが口だけで自画自賛するのってもう本当に気持ちが悪いんです。山本KIDが自分を誉めるのとでは訳が違う。強がることで自分を追い込むような人間の発言とかそういうのじゃなくて、誰かから認められなくちゃいけない、観客や関係者にジャッジされていかなくちゃいけない立場の人間が、誰のジャッジを待つでもなく自分でジャッジをしてしまうことはもうその時点である種の敗北宣言だと思います。自分がカッコいいと思うのなら、もうそれで良いじゃないか。お客さんの審査なんて必要ない、自分の世界で生きれば良い。自己陶酔の世界で浸ってればいい。自意識のバランスってめっちゃ難しい。

話は逸れたけど、今回の主役を演じる人たちはどれもその自意識の部分にとてつもなリアリティーがあった。この強烈なバランスが凄く可愛いと思えたし、共感できたし、見ていて心地が良かった。もうこの正体は何なんだと。ハーマイオニー役で有名なエマ・ワトソンにしたって私は最初から「ハーマイオニー」という記号なしで見れたし、パーシージャクソン君にしてもそうなんだけど、もう今、青春映画を撮るべき旬な状態とアプローチが奇跡的に融合としたとしか思えない。好感度と共感性がイコールになっているんですね。もうこうなったら止められない。物語に観客は積極的に自分の実人生と深く関与していきますし、もう誰かに自分を重ねずにはいられないと思いました。ローガン・ラーマンの一人称の語りが凄く良い。すっと入ってくるナレーション。画面中央に佇んでいても自意識のバランスとして一番良い納まり方(グイグイ来ない、俺を見ろ!って感じじゃない)これが最高でした。

文学や音楽の使い方も絶妙でしたが、国語の先生役が主人公の才能に気づき読書の課題を与え続けるシーン。僕にとってのヲノ先生のようで涙が止まらず。。

時代性としては随分昔のモチーフながら最高の共感を与えるのは、作者の実体験のベースに応えたキャストやスタッフのアンサブルだとしか言いようがなく、個人的に今後のアウトプットではそういうものを見せなくてはいけないと思っている自分には最高の作品でした。