『天使のはらわた 赤い教室』

■しょっぱい思いをした。ハッキリと分かったが、表現に携わるものとして、しょっぱいというのは一番恥ずかしいことだ。自分は悪い意味で、しょっぱさを気にしない部分があってそういうアマチュアリズムのようなものが染み付いてしまっていた。予備校時代からそうなのだが、ちょっと気が抜けていた。けどもう2度とこんな思いはしたくないし、そんなことになってもただ自分が辛いだけだということがハッキリと分かったので、挽回していくしかない。

辛いときには辛いときにしか作れないもので挽回すれば良いと思う。創作の悩みって創作でしか解決出来ないというか、結局そういうことなんだって分かった。
結果として、ダレてしまうときこそ、プロの意地でやり過ごさなきゃいけないし、客観視しなきゃいけない。今この地点でそれが分かったのは良かったと思う。これは自分にとって良いことだったと思う。

■診療所に行った。薬を処方してもらった。実際のところ、薬で楽になっているのか少しも分からないので、もうこんなものはただ金がかかるだけなので、こういうものを頼りにするのは辞めようと思った。

■夜はKマネージャーが飲み会を開催してくれました。音楽関係者2名を紹介してくださったのですが、これがまぁとても刺激を与えてくれるお二人で、ただただ楽しかった。現状一番面白いのがアイドル市場だということも納得させられる。その上でプロレスはどうすべきだろうか、DDTならとか考えると面白いです。一人の方が某有名アーティストの元付き人ということも判明し、驚愕したのですが、佇まいと気さくな感じと面白トークが、良い仕事するんだろ感があって頼もしかったです。

■最近卒制見せて下さいよ、と言われることが多くなる。自分にとってもデモテープのようなものなので、何とか見てもらおう。


10月23日
■銀座シネパトス『天使のはらわた 赤い教室』監督:曽根中生
自分にとって人生レベルで感じられる表現が完全に更新された。堕落論、堕落の美学こそが、僕を救ってくれる価値観なのだとハッキリ分かった。奈美の肉奴隷と化するその神秘性とそれに一目惚れしてしまう村木。そして奈美の世界と、村木の世界はどちらも相容れないもので、どちらにも侵入不可能な不可侵な領域として存在しているという絶望感。それをラストにしてしまうという脚色も含めて、僕にはパーフェクトに思えてならなかった。蟹江敬三がまた自分の中の渋い男を更新させてくれた。水原ゆう紀がただただ美しかった。鏡を使った幻想的な映像など、僕はこの世界にどっぷり浸かってみたいのだとハッキリと分かったのであった。

あとフィルムでしか成立出来ない物語と質感、退廃的で堕落の美学はまさに劣化していくフィルムにしか出来なかったのではないかと思うと、ただただデジタル化の流れに疑問符が生じてしまう。フィルムがなくなるということは、一つの美学が朽ちていくことになるのではないか、そう感じられたのであった。