「メゾン ある娼館の記憶」

■編集、スピードが早くなっている気はした。もう少し効率良くなれば、勉強すること自体にかけられる時間を増やせるかもしれない。

ヒューマントラストシネマ渋谷メゾン ある娼館の記憶』監督:ベルトラン・ボネロ
東京国際映画祭で見逃していた作品。風俗を題材にしているということで見たい気持ちに駆られていたが、見て正解の傑作でした。100年以上も前の時代設定にし、娼館に住む数人の娼婦たちを主人公にその生活を映し出す。物語として牽引する何かで圧倒するわけでなく、絵画のように美しいその女性たちの肖像と美術によって見入ってしまう。絵画のような印象というのは色彩、映っている女性たち、そしてその画面の配置、バンによるパノラマ写真のよう。もっと言えば美術館のインスタレーションのようであった。娼館自体のオーラや、建築、美術の存在感がそっちの方面に近いから当然とも言えるのですが、フィルム全体からとても厳格な匂いがした。もっと言えば、今の映画を見ているとは思えない、もっとも観ること自体が貴重なフィルムを今見ているのだという感覚にさせられた。

どうして風俗という題材に興味を抱くのか、堅気の仕事で稼ぐ女性たちと違う「何か」を僕は把握出来ないまま今日に至っているが、女性としての身体性、人それぞれの性格が剥き出しになるのと、プロレスに近い虚実皮膜がそこにあるからのように思える。

今作ではまるで女子プロレス団体のような集団組織の成り立ちが描かれている高級娼館は訳ありの女の子たちを抱え、衣食住を含めその娼館で生活をしている。娼館を司るボスがいて、女の子たちを管理している。彼女に借金をしている嬢たちもおり、彼女に逆らうことなど出来ず、従うほかはない。ヒエラルキーと個人が抱える悩みや葛藤の中で、それぞれがここで娼婦として仕事をしている。

アイズワイドシャットのような映像から、ある一人の女性がナイフの持ち込みでプレイをする男に縛られる。ナイフを口元にあて、血だらけになるシーンがある。断片的にショットが続き、更には仮面を被ってセックスをするシーンも挿入されるため、連なりがこの時点でよく分からない。悪夢なのか、現実なのか、そんな領域の曖昧さと暗い画面にデヴィッドリンチの作品群を思いださずにはいられない。何て魅力的なのだろうか。


HTC渋谷の【未体験ゾーンの映画たち2012】「メゾン ある娼館の記憶」を観てフィニッシュ。期間中に三本くらいしか見れなかったが、映画祭でしかやらなそうな作品、DVDスルーになりそうな作品が映画館で観られることに意義を感じれた良企画でした

深夜の腹が減る時間帯にファミマの蒸し鶏とザーサイの塩だれサラダ。ビールが飲みたくなる味付け、イカン。