直江津に滞在

直江津に滞在。街のスポットはそれなりに駐車場が埋まっていて人が集まっていた。しかしその娯楽の少なさや、ショッピングセンター化になりきれていないその様子が目に付いた。道を歩いている若者のファッションは何故か男性が迷彩柄のズボンが多く、シマムラで仕入れた服で最大限に出来る不良の出で立ちであった。

これらの風景はやはり映画で見かける事が多くなった。最近では真利子さんの『NINIFUNI』や入江さんの『サイタマノラッパー』シリーズなど。映画はその撮影された場所である都市を如実に映し出すものでもあるが、そこで巻き起こる都市論とは何なのか。画一された生活、皆休みはテレビでのど自慢観賞。韓国ドラマ、大衆化の進みと典型的なテンプレートの生活ストーリーの中で、この2作はそこで起こるちょっとした変化を繊細に摘んでいるということか。『NINIFUNI』は何もない地方都市にアイドルグループの撮影隊がやっていく軸と、犯罪を犯し逃げる若者を淡々とした質感でリンクさせる。初見時はおよそその何もなさに、やや意表を突かれた形となり、どのように評価して良いか分からなかったが、この景色を前にするや、その映画の真意をより理解出来るようになった気がする。この何もない日常の中で、起こる微かな事件。田舎であることの風景、その残酷性。

どれだけネットがあっても地方格差はそうはなくならない。服だってヨーカドーがベーシックなものになるだろうし、ユニクロが出来ればユニクロがベーシックになるが、それ以上の何かが生まれることがない。

恐らく自分が何かしらの都市としての映像を残すのであれば、やはり多摩市か新宿ということになるのだろうが、結局のところ創作をしている人はその場所の磁場から何かしらのエネルギーの因果を受け続けることは必然なのだ。だからこそそんな磁場から放つものを残したいと強く思った。