『別離』/『ロボット』

■荒編集。今の素材で削るところは削る。やはり足りないシーンだらけだし、これから見る映画を見れば、目の前で起こっている現実がたいした事の無い映像に見えて仕方がなく、どうして良いのか分からない。そんなこと言ったらキリがないのだけど。今日は凄い映画を見過ぎてしまった。

Bunkamuraル・シネマ『別離』監督:アスガー・ファルハディ
全編が極めて高い緊張感に満ち満ちていながら、ダルデンヌ兄弟とほぼ同等の手持ちカメラによる撮影方法が成されていながら、全く異なる印象を残す。それこそがその国のフィルムから滲み出るナショナリズムなのではないかと思わせる。確信は持てないけど、どんな方法論をとっても、そのお国柄というのはフィルムに発生するのだということがイランのこの映画を見る事で確認することが出来る。

そんなナショナリズムが宗教や信仰という部分で多くプロットにサスペンス性を高める要素になっているところが興味深い。女性は男性の身体に触れてはならないから、アルツハイマーのおじいさんに触れる事を拒もうとうするし、嘘を付けばその場を切り抜けられるような状況でも、嘘を付く事の罪意識が発生し、誰かにその気持ちを正直に打ち明けようとしたり。そんな状況を冷静に見つめて映画を作っているようだった。監督は映画をあくまで国内向けに作っているようだったが、それこそそんな国に状況をより噛み砕くのが、海外の映画祭に出品するということであり、そこで国内では見えないその国の習性に感心するのだ。だからアカデミー賞外国映画賞を受賞した説得力は幾分他の映画よりも強いもののように感じた。

そんな罪意識と些細なすれ違いから起こるドラマはとても小さな題材ながら、どの映画よりもスペクタクルあるサスペンスフルな仕上がりになっていたことに驚きを隠せないのだ。

新宿バルト9『ロボット』監督:シャンコール
新手のヌーヴェルバーグを見たかのような錯覚に陥った。CM、テレビのような過剰な速度でのカット割りや、とんでもないテンポで進むご都合主義、突っ込みどころに対して、もうこれ以上ない祭り具合で返してくる。問答無用に観客を黙らす凄さで終止圧倒される。

同ポジのジャンプカット、バレバレのCG、重力などの万物に至る全ての最低限のお約束をことごとく破壊していく。だが、同時にそれは紛れも無い「映像の出来る事の表現」であり、これまで映像史の中で開発されてきたことに過ぎないのだが、そのどれもが過剰性を持って提示される。インド映画だとしても、それにしてもだ。

これこそが澤さんの言ってた「やり過ぎぐらいが丁度いい」という典型例のような気がしてしまうが、こんな映画が更新された今、簡単に「やり過ぎ」だなんて口に出せなくなってしまった現実が恐ろしい。とにかくこれを更新するのは無理なわけで。けど近づこうとしないといけないし。とんでもない課題を与えてくれたものだ。