『少年と自転車』

■朝、尾崎さんと横浜大会の会場へ向かう。尾崎さんからドワンゴ本社へ行った話を聞く。社内の雰囲気はよりコアな対象を探し当てようとする雰囲気が見られるという。体育会系の会社で挫折した自分としては信じ難い光景の数々。羨ましいと同時にドワンゴのような社風だったら良かったのにと新卒採用の一度限りの切符を中○テレビに使ってしまったことへの後悔と愚痴が止まらない。。

尾崎さんはオタク文化とプロレスの状況をいつも冷静に見ている。だから尾崎さんがドワンゴにヘッドハントされてしまうなんて想像すらしてみたりして。

DDT横浜大会撮影。狭いキャパながら会場設置もしやすく良い雰囲気の会場。ド変態團の試合でエロ撮影さながらのプレイ。おっぱいの谷間や、女性が辱められているのを撮影するのは楽しい。華名選手、紫雷選手に感謝。光留さんとは何だか気が合う。

■横浜と言えば大学時代に何度か足を運ぶことになった地。主に赤煉瓦倉庫に卒展関係で行ったのがメインですが、それ以上に南武線経由で分倍河原から聖蹟という裏ルートで帰れる心地よさを何度か経験しているため、この地帯には愛着があるんだ。チネチッタで映画を見たのなんか、大学2年の時だったと思う。あの時の気持ちを思い出し川崎に降り立ってみた。想像以上の大型ショッピングセンター感が否めないのだけど、上手く言えないその心地よさ。これは名古屋では大高のイーオンにも感じる、表の防空壕なのだ。つまり首都圏から離れてるのだけど、確実にそこで生活をしている人たちにとけ込む。ドラクエ5で言うところのオラクルベリーに来たみたいな感じだ。しかしいつのまにやら映画都市としても有数の地になっている。109シネマにはIMAXがちゃっかりあるし、向こう側にはTOHO、チネチッタと新宿とさほど変わらないシネマ環境に驚く。ラゾーナの1階食事コーナーで陳健一麻婆豆腐を食べるが辛過ぎて旨味がわからん。

■109シネマズ川崎『少年と自転車』監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌ
人生号泣映画がまた更新された。親から見捨てられた少年がその里親となった美容院の中年女性との交流、さらには周辺の青年たちの交流を経て、心の開放をしていく物語。手法はダルデンヌ兄弟特有の手持ちカメラによるものだけど、それに加えて今回は自転車の移動による速度感がプラスされ僕が意識していた『ガクセイプロレスラー』の編集、撮影で意図していたものにより近くなっており、完全に好みな画面構成。主人公の少年は親に見放された事で、半ば強制的に父性からの乖離を余儀なくされる。里親となった美容院の女性に心を開こうとするも、折り合いの付かない心模様に荒れた行動と、言動でしか示すことが出来ない。まだ幼い少年であるが故に、自分が表現出来ることの幅は限られてしまう。その自分の気持ちが表明出来ない、またその見えないストレスなどの要因から自己を開放する手段をほとんど持ち合わせていない中で、少年は唯一と言っていいであろう方法、それが即ち自転車に乗るということなのだが、その自転車の疾走感は言葉で語らずとも、あまりに切なく、そしてその少年の無垢な表情にひたすら、自分の少年期を喚起させられ号泣してしまった。これはどこかであの時の自分を見ているかのように感じられる、少年期特有の原風景がまさに映画としての感動としか言いようがない表現で目前に迫るのだ。平野監督の自撮りで自転車の旅を撮る、あの独特の疾走感に近い。自転車という乗り物はどこかで、「青春」というファクターを感じずにはおれない。少年が大事にしている自転車は恐らく、父親に買ってもらった一番大きな買い物であり、宝物なのだ。少年は多くを語らずとも、その自転車で遊ぶこと、移動することの喜びを感じているかのようである。僕らが初めて自転車を買ってもらったとき、そしてそれによって小さな世界がまた少し広がったあの感じ。

少年が謝罪を許さない男に襲撃され、木のてっぺんから落とされるラスト。少年は死んでしまったかもしれない。微動だにしない。襲撃した親子はアリバイを作ろうと口裏を合わせる。救急車を呼ぼうとした瞬間、少年は立ち上がり、再びその自転車に乗って帰っていく。その後ろ姿は多くを語らずとも、偽善な大人に中指を立てんとする姿勢さえ見え隠れし、うだつの上がらない少年時代を過ごした自分が欲しかった強い精神であり、それはまた今この時点でも僕が欲しがっている、負けない精神そのものでした。

久しぶりにエンドロール後終わっても立てなかった。レスラーのような体験。
僕もシナリオ書かなくちゃと思った。