『311』

■DVD納品。

■オーディトリウム渋谷『311』監督:森達也綿井健陽・松林要樹・安岡卓治
事前に聞いていていた賛否両論の否の部分をほとんど感じなかった。むしろこの作品が改めて震災に対して目を背けないこと、それに伴う「不謹慎」という言葉への疑問と、この異常事態に対する人それぞれの意識を改めて感じた。4人の監督が異なる視線でカメラを持ち撮っている。間違いなく4人とも映画の撮り方は全く異なり、また震災への向かい方も異なっている。この作品が複数的な視点を提示しているのは、決して一つの安直な結論に結びつけることなく、豊かな見方を提示している。それは映像ならではの含蓄ある思考であり、間違いなく活字メディアでは与えることの出来ない「何か」だったと思う。だからこそ森さんが活字からもう一度映像で撮る意味をしっかり見つめ直した上でこの作品を捉えているかが分かると思う。

「後ろめたさ」が一つのテーマになっている。死体を撮ることで、非難を浴びる監督たちや、車中や宿で見せるありのままの自分たちの姿。それは普通のジャーナリストたちが扱わないエリアだろう。何せ被写体やテーマが震災ではなく、現地へ向かう彼らなのだから、そこに映し出されているのは震災の現実を見せられた自分たちなのだ。誰のフィルターを通して見るか。まさに4つの視点が交錯する中で、やはり森達也のその視点は圧倒的だったように思う。あの『A』はこのように撮られていたのかと思わずにはいられないのだが、森はそっと人に対して優しく質問をしながらも、聞き辛い質問を続けていく。とても丁寧にかつ、真摯な森さんが印象的だった。自分たちのやっていることの「後ろめたさ」を背負いながらもだ。

異なる映画監督が同じ対象を撮れば、それこそ全く違う映像が出来る。間違いなくそれがその映画監督の視点であり、切り口なのだ。同時にこれはそれぞれがどのような思考で撮っているかを改めて浮き彫りにする。そこで光る森さんの目線は間違いなく僕がドキュメンタリーをやりたいと思えた、思考停止をしかける世の中に警笛をならそうとする映像だった。