若者

■BD『ブラック・スワン』監督:ダーレン・アロノフスキー
このごろ80年代再考をしていて、90年代末に生まれ今最もラディカルな作家であるダーレン・アロノフスキー。『レスラー』という作品が生まれた背景にはしっかりと「アメリカの再生」がな内包されている。80年代の栄りの極みを迎えたレスラーの死に様は、時代の変化と共に生きるアメリカの闇そのものだった(トレーラーハウスで暮らす低収入層の背景など)。一貫してその作品群にはダークなイメージが付きまとう。何故ダークなのか。どう捉えても破滅という言葉から避けられない。

古市さんの著書を読んだとき、若者論として若者は社会的イメージに対して今を楽しんでいる様子が様々なデータと共に立証されている。ただし将来の保証の面では確かに明るくないことだけは確かであるということも同時にだ。

僕、個人が映画に見いだしたいのは時代の公証とともに、より良い人生を送るためには名作を見るしかないという結論に達したから。ウディ・アレンが映画作りを「現実逃避」と言い切りながらも、好きな仕事をし続け、奇麗な女優さんと仕事をしてきたことそれそのものが、一つの救いのような結論に達している。現実的なことを言えば人生に何の意味もないという悲観論的事実にこの状況下で見いだしたくもなってしまう。だからこそ、僕は僕なりに興行、映画という祭り事について考えてみたいし、一つそれを続ける事で、意味のない人生に彩りをもたらせばとも思う。恐らく今後社会的に問題が発生しても、私個人の関心事や興味、及び悩みは極めてウディ・アレンのような題材事や、極私的な問題になると思われるから。

しかし何故ゼロ年代の作品にはダークな作品群が集まったのか。明らかに80年代の作品群とは異質だ。物質的な豊かさでは、もっとハッピーな出来事があってしかるべきなのに、描かれる事は世相の厳しさの中で、強く生きようとする主人公にスポットが当たる。『ウィンターズ・ボーン』で感激したのはその美しい若い肉体を持ったジェニファー・ローレンスがあからさまに時代によって歪んでしまったシステムや、大人たちに孤独に、だが屈強な精神で立ち向かう様だった。

必然なのか偶然なのか、『ガクセイプロレスラー』という作品を作って2年が経った。あのときでしか撮れないそんな状況を、まともに技術も視座ももてない状況の中で、必死に映画として完成させた。作品には至るところにコメディとしての面が浮き足たつが、それでも「今の若者の叫び」が必然的に見え隠れしそうだ。およそ2年間の空白の間に、自分もプロレス界で働くという方法を取り(取捨選択のない状況に追い込まれいつのまにかそうなった)、インディーズビデオ、興行VTR、youtube動画の製作に忙しなくなっていった。男色牧場シリーズも含めて、単体作品としてリリースは出来たが、時代考証という部分には至っていない点も含めて、まだまだ技量、視座のならなさからか、大きく話題にはなっていない。だからといって2年間しっかり作り続けているという事実は否定したくない。あの林由実香の本を読んでいれば、どれだけ有象無象の作品に参加しても、その中で語り継がれるのはごく一部の作品だ。結局傑作を意図して産みだすのはよほどの天才ではない限り無理だということを受け入れなくてはならない。だから僕はまだまだだということを足場を固めつつやっりどんな仕事でも頑張り続けなくてはいけないし、映画も見続けなくてはいけないのだと思う。だからキリがないというか、本当に暇がないという部分ではまぁ幸せなことなんだろうけど。

それでもココ最近、コメディに傾倒していったのはしっかり訳がある。永遠と続きそうな仕事の毎日の中で、喜びを見いだすてくように、自分自身が演出をしていかなくてはいけないということだ。僕があえてバカなように振る舞うのもその一つで、普通に髪を切りに行ってもいいけど、どうせなら巨乳の美容師に切ってもらった方が良いだろうというちょっとした工夫だ。それくらい毎日は普通に過ぎていってあっという間に死んでしまう。その中で、自分なりの真実というか信念を見いださなくてはいけない。自分の卒業制作はまさに学生時代の信念の結晶だった。何かに熱中することや、進路に悩むことや、バディたちだけで騒ぐことを結果として僕は肯定した。だが、今はそういうわけにもいかない。『ガクセイプロレスラー』だけでは語れなくなった。この2年間はそれほど苦しかった。ある部分では『ガクセイプロレスラー』はこの2年間だけで自分自身が年を重ねる事で否定された。レスラーだらけの職場で限界を感じ、風俗に逃げる。もう無理だと思った。野郎同士だけで社会生

活が生きれるほど甘くない。どこかで異性のやさしさに触れなくては、とてもじゃないが破綻しかける。仕事で殴られ、蹴られ、妥協を許されぬ中で、現代人はどこに居場所を求めるのか。ただ私にとってそれがスクリーンのある映画館の暗闇であったというわけだ。暗闇の中で何とか現実逃避をする。もちろん現実は映画館の外にいけば待っている。ケータイの電源をオンにした段階で仕事のメールが来る事がビクビクなのだが、結局のところ逃避した先には現実が待っている。さてそんな世界を切り取る術はどこにあるのだろうか。

■ジモトで新年会。いつまで会えるか分からないこのメンツも大学2年のころから集まりだしてはや5年も定期的に集まってるわけで。で、今回が一番俺たち年食ったなという印象を互いに持った。だからこそ大人になった輝きをそれぞれが放ち始めていた。