『ミラノ、愛に生きる』

■事務所。片付け。

Bunkamuraル・シネマ『ミラノ、愛に生きる』監督:ルカ・グァダニーノ
あまりに素晴らしい作品。久しぶりにスクリーンに映し出される映像に心底情動された気分になった。美しいミラノの都市のショットに連なりながら、人物を追うとても滑らかなクレーンショット?なのかがあまりに見た事のない視点と動き。映画体験とは現実に起こりうることの出来ない時間と、視線の集積とも言えるが、本作で見たのは、新たなジェットコースターのような体験であった。スタイリッシュという言葉が安く聞こえてきそうな緻密に練られた映像設計。何かを暗示するショット、そして目眩を起こすようなフラッシュバックの可憐さ。映像とは限りなく自由で、そして壮大な領域の中に伝えたいことを見いだすものだと改めて驚かされる。

特に暗示ともいうべきショットの連なりが凄まじい。アダルトなイメージのセックスシーンは途中で断片的に花々のショットや、フォーカスのいじくり、そして巧みにアップと引きの画をリズミカルに挿入することで、上品な印象を崩さない。ふわっとした色彩に主人公の女性が辿り着いた境地が映像にでこそ表現される。映画監督とはここまでして細部に計算しなくてはいけないのかと思うと、ひたすら途方にくれそうなくらいに、美しい映像の連続であった。これがひとえに正解と言うべきかは分からないが、少なくとも僕がインディペンデントでもこのような表現をしてみたいことは確かだが、このような境地に辿り着いた日本人作家など聞いた事がない。

追記;『ブラック・スワン』と双璧をなす作品かと。女性としての開放がテーマなのだが、『ブラック・スワン』は過剰に幻覚や破滅に向かい、荒い粒子のフィルムによる映像で一貫しているのに対して、こちらは滑らかの映像や、暗示的なショット、そして官能的だが、どこかで天国、楽園といったイメージに自己を開放していく姿が印象的であった。だが両作品ともに描いているのは、開放と目覚めだ。それほどまでに現代の女性像とは社会や家庭というもにに抑圧されているのだろうかと考えてしまう。