1年間。

最近忙しい。忙しいというの基準を年一回の両国大会前後の出来事とすると、そんな出来事が日々更新されている。

だがいい加減慣れてくる部分もあって、度重なるミスを繰り返した結果、ミスは減っていくことにはなった。ミスをしないというのはただひたすら事務所に残って作業をすれば減るということにもなるんだけど。

自分はたぶん今、エンターテイメントという分野においてそれなりに気鋭なグループの中にいる。
先日、大学の教授から連絡があって1年振りに連絡したんだけど、プロレス団体が専属の映像作家を抱えるという「今の時代」に驚いていた。

従来のプロレス団体なら"外注"だったんだろうけど、確かにインディーズ規模の団体がそのような組織図を構成していることに誰も突っ込まない。
意外と驚くべき事なんだと思う。それはこれまでマッスル坂井さんや藤岡さんの活躍がこれらの状況になることを「当たり前」にするまでに頑張ったこと、そして高木さんのセンスだと思う。

古武さんという僕にとって欠かせない師匠が出来た。
とても厳しい師匠だけど、古武さんの言っていることは「本流」だから食らい付きたいという思いが湧いてくる。この人に見捨てられたら終わりだといつも思いながら、食らい付くようになった。だからどんな理不尽な状況になっても働くようにした。

あんまりDDTに来てからのことをまとめて書くことはなかったかもしれない。けど毎日、毎日こんなにクリエイティブで、メジャーに出来ない事で世間を驚かせようと発信し続けている団体の右腕になれていることが嬉しい。だから「もっと」だ。

それは「今成」という商品価値がまだまだだから。大学の卒業制作がたまたま"当たった”程度の汁監督。
いくらでもそんなヤツは現れては消えていく。残念だが人生はそんな妥協点の連続だ。

高木さんの買い物に行く雑務一つでも、高木さんのイメージと違うものを買うと「あぁぁ」となってしまう。逆に「おっ!」と言われる商品を買ってくるとちょっと嬉しくなる。基本的に高木さんのプロレスというのは「おっ!」と言わせ続けてきた軌跡なんだと思う。

僕はまだ「おっ!」と言わせるに至っていない。作り上げるものに対して「想定の範囲内」の創作物でしかない。でもそれじゃダメだ。DDTにいる以上はきっとそんな範疇を越えた「おっ!」と言わせるものを作る。それがDDT印なんだと思う。

東京に来て1年間が経った。一回形にしてみたい。DDTに来て1年間が何だったのか。自分のオリジナルでどこか形にしたい。
どんな日常もプロレスにしていく。どんな些細なことも発進力にしていく。そんなDDTの創作は僕が今まで見てきた自主映画業界や、美術業界には一切ないものだった。

だからそんな結果をぼちぼち出したいと思う。とりあえずそんなことを思ったことを書き留めておく。
今、中京テレビで苦汁をなめたことが役に立っている。諸先輩方に言われた言葉が響く。

とりあえず書くことは「革命」の第1歩なので、とりあえずはね。
日本武道館をあっという間に来ちゃうんだろうけど、同世代の作家に影響を与えるくらいに頑張りたい。