東京国際映画祭

■番組の作業を前倒しで行っていたら、MA日が翌日にづれ込んでいたという事で、ちょっと時間が出来た。毎回スケジュールがいっぱいいっぱいなんだけども、空いたときの行動力はここぞとばかりにあるので東京国際映画祭へ。

映画祭の空気感が良いなと思い始めたのは今年ゆうばり映画祭に参加してからで、やっぱり未知の映画が見られるということだけでなく、スタッフや監督参加のQ&Aなど観客が能動的に参加出来るシステムがしっかり構築しているからだと思う。数ある作品の中から選ぶということも含めて、世界は広いし、映画にすべき題材やテーマが無数に存在することを改めて実感する。TIFFは当然のことながら東京に住んでなきゃなかなかお目にかけることの出来ない映画祭なので、こういうところで東京在住の特権を利用しない手はないなと。

やっぱり映画祭は良い。自分もずっと関わって行きたいし、このシステムの中に自分の身体を刻んで行きたいと思う。作品が代弁することもあれば、作品が人生の切符になることもある。映画のシステムは近年の高画質デジタル上映の恩恵を受けどの映画も通常の映画上映と遜色ないレヴェルで上映されている。自分の「ガクセイプロレスラー」でさえTOHOシネマズ六本木ヒルズで上映された際はその最高画質っぷりにビックリした。必ず英語翻訳者が同席するQ&Aも含めて自分自身をインターナショナルな磁場に送り込むには映画を作るしかないという結論に達した。


■TOHOシネマズ六本木『より良き人生』監督:セドリック・カーン
チャンスだと思った出来事がチャンスではなかった。人生は取捨選択の中にあり、良かれと思った選択が当人にとっては奈落の転落を意味しているケースも少なくい。主人公の男が突然女性に恋してしまう。その女性は子持ちであったが、新しい物件先でレストランを開業しようとするが、物件のトラブルからいくつもの借金を抱えてしまう。妻は子を預けて単身カナダで渡ってしまう。過酷なまでの人生と転落である。愛する人との時間が、180度違うものになってしまう側面を持っているのは『ブルー・バレンタイン』でも描かれてきた。本作はそれとやや被る前半戦を見せる。全てが希望に満ち溢れているかのような出会いから一転、借金をいくつも抱え、矢継ぎ早に現実の厳しさと向かざる終えない

■TOHOシネマズ六本木『Bonsai 〜 盆栽』監督:クリスチャン・ヒメネス
タイトルは大変嫌な予感がした。外国人監督が日本に来日した際に浮かんだ一つのアイディアを拡大解釈したもの系の映画は、やはり表層的な「和」の心に終止して駄作が多いのを見逃せないから。そもそもこのタイトルのダサさって外国人が意味さえ分からずにタトゥーでいい加減な漢字を彫っている感覚に近い。

突き放したようなドライな会話や、無感情に進む全体のトーンは好き嫌いに分かれるかと思うが、監督がQ&Aで「それが私の映画作りだ」と言ってしまえばそれを受け入らざるおえないわけで。自分のような「興行」をベーシックに考えるタイプからするとちょっと理解し難い部分もあるよなって言う話で。

作品は案の定眠気がとんでもない勢いで襲ってきたのでした。

■TOHOシネマズ六本木『ボリウッド〜究極のラブストーリー』監督:ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メーヘラー/ジェフ・ジンバリスト
東京国際映画祭で『ボリウッド〜究極のラブストーリー〜』インド映画の名シーン集ドキュメンタリー。「ボリウッドはハリウッドの亜流なんかじゃない」という台詞という名の前フリから一気に畳かける亜流感満載のキレキレの映像と踊りが最高。ひたすら多幸感に浸れる映画史。ムトゥ踊るマハラジャ

監督が出てきて「俺の映画のストーリーは単純だ。政治的メッセージなんてない。ただ男が女に求婚し、フラれて、悪い奴が現れ、悪い奴をやっつけてハッピーエンドだ!」って自信満々に喋る。出てくる女性が全員ふくよかかつ美人。生まれる国を間違えた。

途中でインサートされる『衣・食・住』という名前の映画で「物価高〜!!」と巨乳女子の胸元アップから全員が踊り出す。不幸を嘆くのに十分に幸せ過ぎる絵面。「辛くても歌って踊るんだよ!」を見せ付けられた。真の豊かさ。アミターブ・ブッチャンしか知らない自分、ひたすら猛省。インド勉強します。

twitterでアホな感想。MTV的(死語)やCMのように怒濤のラッシュを見せる前半シーケンスは映像身体論として完璧な提示ではなかろうかね。