『ラスト・エクソシズム』

新宿バルト9ラスト・エクソシズム』監督: ダニエル・スタム
かなり興味深く観賞。本作で私なりに「フェイク・ドキュメンタリー」の法則を発見した。というよりもこの映画は悪魔祓いを扱いながらも映画における「嘘」とは何か?「宗教」とはそもそもフェイクでは?という作品になっている。

主人公の牧師が悪魔祓いの儀式は全てフェイクであるというカミングアウトのドキュメンタリーが体裁の本作。悪魔祓いは完全に人々の気分を高揚させる「パフォーマンス」であり「興行師」である。途中のシーンでさりげなく「仕掛け」を得意げに見せていく。十字架には煙を出せるように細部までに細工を施し、スーツの中にスピーカーや指にはちょっとした電流が流れるような「トリック」があることを雄弁に喋る。そんなインチキ牧師が最後に本当に悪魔によって殺されてしまうという二重の「嘘」を重ねたフェイクドキュメンタリー。

本作が最も面白かったのは結局のところ「仕掛け」をカミングアウトするところだった。もっともそこのシーンが本当にドキュメンタリーっぽく見えたし、「バラす」という行為そのものがある種の「ドキュメント」への高揚感を増すことに関係していると思われる。

後半になればなるほど、嘘は嘘にしか見えなくなり、嘘とバレバレになる。この作品はバレバレの嘘を楽しむ作品なんだけども、フェイクドキュはどこまで真実に見えるかがまた肝になってしまうわけです。

嘘度の分かりやすさを顕著に示すと以下の通り。
■カット数が異常に多くなる。
(本作では1カメであるのに、編集によってカット数を多くし臨場感を高めている。)カットを増やすことで、見えてしまう嘘を巧妙に隠す。(そうでないとフェイクドキュは成立しないのだが)
つまり編集とは上手く嘘を付くということになる。

パンフレットではテイク数が20いくつもあるシーンがあると書かれている。おそらくその場で何度も撮り直し、その中でベストなシーンを繋いだものと思われる。

この編集方法は私の上司であるFさんも多用している編集方法で特に優秀なテレビディレクターの技術でもあるようだ。映像を引き延ばしながらもザクザクに音を切らして、カットを増やすことで嘘が見えないようにする方法である。

逆説的に言えば長回しという方法には嘘が付けないとも言えてしまう。『ライブテープ』はその最も顕著な作品。嘘を付くには画面外かそれ以外の要素で嘘を付くしかない。


■音響設計
巧みな音響設計は嘘を付く上で非常に重要である。本作も嘘を付くタイミングで「ノイズ」を効果的に排して高揚感を増している。またザクザクにカットされた映像と台詞の音が同一の内容を示している場合であれば、状況や時間軸のズレはばれない。

逆に言えば映画(映像)における嘘の要素の多くは音によって調整が可能ということである。ワイズマンの映画には映像による加工が少ないものの、かなり巧みな音編集がされていると言われている。ノンフィクション系の映像でも唯一、嘘を付く部分は「音」によるものだろう。


■形式・構成
真実を示すような構成にはあるパターンがある。写真や新聞の記事、引用などそれぞれのアリバイの数が多くなればなるほど「本当」っぽくなる。つまり本当を示すにはある程度の証拠の数が必要となる。冒頭のドキュメンタリー編集は極めてオーソドックスなアメリカドキュメンタリーのタイプに当てはまる。


他に挙げればキリがない。しかし優秀な映像とは「巧みに嘘をつくことなのだ」ということが判明しただけでも収穫。