『ツリー・オブ・ライフ』

■ビアガーデン5日目。サンドマンというレジェンドについて考える。たぶん単体ドキュメンタリーとしても題材になるであろうキャラクターと破天荒さは、いつの時代においてもカッコいいものとして語り継がれるものだ。

新宿バルト9ツリー・オブ・ライフ』監督:テレンス・マリック
ツリー・オブ・ライフ』という名の苦行終了。カンヌ映画祭パルムドール受賞という冠に文字通り釣られてしまったあまりに壮大な"釣りー"映画だったな。

ということで要注意がいる映画だと思う。理科の授業で見せられそうな自然の映像や、人類の誕生等を意識させられるであろう映像を途中で20分ほどみせられるのだが、これが何というかひたすら辛い。眠い。

どこまでそれらの映像に「意味」を考えられるかは、ほとんど受け手に委ねられてしまう。ほぼ投げやりなその映像はどこまで人にその真意やら妄想を掻き立てるかどうかによって『ツリー・オブ・ライフ』という映画の見方は変化することであろうが、個人的にはつまらない映画として割り切りたいと思った。デヴィッドリンチらの難解さとは遥かに違うそれ。シャマランの『ハプニング』は何もないように見せかけて周到に演出された気配を楽しむ事が出来たが、ツリー・オブ・ライフ』にかんしては何度も見たいとか、謎が仕掛けられているから解明したいという欲求にふれることがないのだ。何故だろうか。

いくつかの原因があると思うが題材がかなり監督の私的な表現によるものであるにも関わらず、いきなり壮大な映像を見せられ、私的な表現があまり活かされていない部分によるものが多いのではないか。極地的な表現があまりに多いために、見る側がどの位置に自分を置いて良いのか分からない。見る側が極地的なラインの演出を断片的にいったりきたりすることに困惑し、作品の探求を半ば諦めてしまうような気持ちにもさせられてしまう。

昨年のベストに選んだ『エンター・ザ・ボイド』はそのエクトリームさがぶれることなく最初から最後までぶれない演出がみれたからこそ輪廻転生というテーマに対してノれることが出来たような気がするが。

ほぼ極私的な題材を扱っているのに、ブラピやショーン・ペンといった俳優をキャストするのもあまり似合っていないように思えた。全く無名の記号が発生しないキャストであれば一から意味を探求出来たかもしれないが。

とはいえ非常にクリアな映像にヌーヴェルヴァーグを彷彿とさせるジャンプカットや、極端なアングルの中で人間と都市や身体の構造を画面に見せきる圧倒的な画力はそれだけで魅せられるものがあった。特に下アングルからのショーン・ペンがでかいビルに立ちすくむ様は現代に働くサラリーマンの姿そのものの葛藤を見せきってしまっている。ここで面白いのは実に写真的だと思うところだ。もしこれが写真展であれば、断片の中に静止された瞬間に対して面白い意味合いをそれぞれに委ねられるであろう部分はあった。

そんな意味では長編映画に向いていない題材だったように思える。短編作品や写真展といった表現形態にこそ真価を発揮したのではないか。そのような憶測を駆り立てると、映像表現者は必見の作品なのかもしれない。

■興行の映像の仕込みをひたすら。テンポの良いCMが出来たと思う。だけど8割は渡部さんのデザイン力のおかげ。