『ドライブ・アングリー 3D』

■TOHOシネマズ日劇ドライブ・アングリー 3D』監督: パトリック・ルシエ
全編に渡る正しい「どうしようもなさ」が3Dになって「愛おしいもの」に変わることを証明してみた作品だと思う。冒頭、妙にエロすぎる女性店員(というよりビッチ)が作品のテイストを最初に示すのだが、とてもそれが痛快に映る。セクハラ好きの店長にキンタマを掴み、女性上位の状況を具に映し出す、それは男子には実に溜まらない状況であるのだが。グラインドハウスものを多分に意識した要素をふんだんに散りばめながらも、印象に残るのはむしろ俳優の映画だったなあという印象。俳優の渋さがむしろそのボンクラさの根底をギリギリで支えていて、デイヴィッド・モースの顔を見るだけで安心してしまうし、アンバー・ハードの体当たりな好演と可愛さが最後までしっかりと脳裏に残る。ニコラスがほぼ不死身状態であったりと突っ込みどころはたくさんあるのだけども、映画がフルタイムで元気なので、十分。逆にタルいシーンもあえて作っても良いような気さえするサービス精神だった。

■何となく表現の方向が固まってきた。言うなれば第2部の自分なのだが、言葉で先行すると「ドキュメンタリー」「ノワール」「エクスプロイテーション」ということになると思う。

「ドキュメンタリー」は自分が今、地に足がついた状態で出来る唯一の映像表現。もっと才能があればMVやドラマでということになるんだろうが、そういうアウトプットを在学中に獲得出来たかったら潔く今は諦めた方が良いというのが率直な感想。ただあくまでフィクションへの情熱が冷めないので、形式上のドキュメントという面は大きい。

ノワール」はそのものの意味を辿れば闇や黒いものを指し示すが、ここでは渋さや味といったものに置き換えてみたい。これはあくまで目指したいルックの様相であって直接的に目指すものではない。しかし在学中にいくつかデヴィッドリンチを意識した実験作品も作っていた。もともと自分にはそういう志向があることも無視したくはないと思った。明快過ぎることを嫌うというか、分かりやすさを求めるのは自分が作る自主作品にはいらないと思うから。

エクスプロイテーション」は作品に興行論を入れるということ。これはプロレスと映画を横断して研究してきた自分の研究領域であり、探求し続ける要素。だから自分がさわやかな作品作りなどはあり得ない。

そんなこんなで狙いは定まったが、果たしてどのように実現出来るだろうか。