『死ね!死ね!シネマ』

■辛い。朝から異常な辛さに苛まれる。ここ最近で感じたことのない辛さだ。この辛さに対してもはやどうすることも出来ないような時の経過も同時に感じている。もう何を絞られても何も出てきやしない。残酷過ぎやしないか。

■オーディトリウム渋谷『死ね!死ね!シネマ』監督:篠崎誠
ゆうばりで見ていたが追加撮影分があるというので、結局見に行った。うーん、ゆうばりでの追加撮影から一気にテンションが停滞してしまっていた。これは短編のままの方が良い作品だった。そんなことを言ってはしょうがないのだけども、前半の圧倒的な殺戮や、監督本人への自虐ともとれる批評・講評がこの作品のキモだったはずなんだ。カメラがブレブレの学生に「それじゃあトニー・スコットやポールグリーングラスもどきの映像になっちまうぞ!」と脅すシーンは確実に現代映画史に向けた呪いと講評と殺戮を同一線で語らせる面白い表現なはずなのだが、後半は一気に既視感のあるホラーになってしまう。後半部分を褒めきる風潮が若干のところ美学校にあるような気がしてしまうが、それは単なる悪いクセの一つだとも思ってしまう。あと録音状態がいくらなんでも酷過ぎて気になってしまった。繋ぎの音はもっと編集で何とかなるはずなんだけどなー。

■オーディトリウム渋谷『3年映組虐殺先生』監督:斉藤友一郎
パロディ作品。これが映画学校の課題なのかーと思った。

■オーディトリウム渋谷『クライシス北の国から』監督:田口清隆
圧倒的だった。北朝鮮拉致事件に対抗する自警団の涙ぐましい活劇が素晴らしいカメラワークと自主ならではのユーモアでかつてない興奮へと誘ってくれた。後半の湾岸での合戦シーンは確実に自主映画史上稀に見る大スペクタルだったし、途中で自主ならではのパロディもしっかり笑えるのが凄い。北朝鮮から発射されるテポドンをネタにし、しっかり国家レベルの話を自主映画というフォーマットに落とし込んでいるのが素晴らしい。そのどれもがしっかり茶化しきっている事が心地がいい。これは日本の安直なテレビ局映画でさえ出来ないことであり、これを見てもっと揺さぶられた方が良いというレヴェル。しかも出演者の誰かのおじいちゃんだかお母さんだかを登場人物に使い、おじいちゃんの話している時間軸を未来にして、伝記に落とし込んでいるのだが、その使い方が松本人志の「おじさん」シリーズにも似たもので大変面白かった。劇中で日本列島を俯瞰する映像や、北朝鮮から送られてくる電波信号の模様もクオリティーがしっかりとあり、ルックで妥協をしないことがこの映画からはプンプンと伝わってきた。

■『映画長話 (真夜中BOOKS)』蓮實 重彦 (著), 黒沢 清 (著), 青山 真治 (著)
この3人が交わす意見の8割は賛同出来ないもので腹が立った。何故か黒沢監督の『トウキョウソナタ』を蓮實、青山の両氏がこれでもかというくらいに絶賛し、あげくの果てには海外の著名監督たちに「参考にしろ!」と言い切るのである。この『トウキョウソナタ』至上主義が何とも気持ち悪くておかしい。そもそも『トウキョウソナタ』の評価自体が大変内輪な評価軸を形成しているにもかかわらず、映画史上に残る傑作かのように語りきるその持ち上げ根性が何とも気持ち悪かった。『トウキョウソナタ』には私の周りで反論する人が多く、実際リストラの描写の甘さの指摘にはかなり多いものがある。途中でトニー・スコットに向けられる言及もあるが、何故かトニー・スコットがとてもペラい映画監督の代表かのようにも言い切るのでどうかと思ってしまう。確かに彼らが言うショットの甘さなどに当てはまるそれもあるかとは思うが、退屈なカットの繋ぎで最新作を撮った青山さんにはそれを言う資格はないように思える。ウェットな雰囲気だけの日本映画が増えて賞賛されていると言うが、その代表格がこのお三方なのでは?と突っ込まざる終えない。総じて言えるのはこの3人が語る映画論は今の時代には古い。映画の形はもっと変容し、早いスピードで映像は進化している。今を見据えた上で語るのならまだしも、若い芽を摘むような視点で映画を語るのはどうかと思う。スピルバーグイーストウッドの二極化など面白い視点は見えるだけに、もっと今風な映画を認めてほしいと思うしかなかった。じゃなければ、蓮實チルドレンチックな若手作家は相変わらず増加の一途を辿るしかないのだから