イメフォ祭り

■編集やらミーティングやら。

■シアター・イメージフォーラム『Peace』監督:想田和弘
想田監督の『Peace』は先に新書の著書を読んだ上で見たのがかえって正解。主観のカメラの眼差しが優しさに満ちているのと、映画として血を通わせるために一つ一つのショットと繋ぎが印象的。何気ない被写体とテーマでも観察と編集をしっかりすれば映画になる証明。この映画自体が良質なテキストに

気がつけばかなりズームアップが多いことも自分としては勉強になった。車の中でも、話を聞いている人の顔も随分とズームアップが多い。画面いっぱいに覆われた人の顔や表情こそが、観察映画において「語る」ことの一つになっているように思われる。

■シアター・イメージフォーラム『エッセンシャル・キリング』監督:イエジー・スコリモフスキ
傑作過ぎて唖然。本能剥き出しのヴィンセント・ギャロとスコリモフスキ、狂わないわけがない。人間の本能なのにどうかしてるイカレっぷり。母乳を与えてる母親を急襲し、自分も乳を吸いまくりからの母親失神はヒョードル級!総合格闘技かと思った。僕、鳥肌立ってますよ。

ギャロの身体性とその「狂っていることのさわやかさ」。即ち狂っている事自体が全く鼻につかないのもこの作品の魅力ではなかろうか。

■DVD『さらばアフリカ』監督:グァルティエロ・ヤコペッティ
何故、ヤコペッティのフィルムを見たくなったか。それは自分の中でも未だにハッキリしないのだが、それでもヤコペッティ最高傑作と称されるこの作品を今、目にしたことは大きい。アフリカを題材にしながらも、これまでの過剰演出の極みをここで表現している。次々に殺されていく動物や人間のカットにあからさまな骸骨をモンタージュで重ねていき、壮大な曲で煽っていく。もはやドキュメンタリーの誠実さとは全く概念が違う、壮大な映像プロパガンダ叙情詩である。これを見て理解出来るのはプロレス・格闘技の煽りVとは究極的に言えばヤコペッティである。試合のお膳立てとして徹底してモンタージュや音楽で過剰に作りきる。そこには試合を分かりやすく見せる方法としての興行(見せ物)論がたぶんに介在しており、興行としての映像にはそれらが不可欠であるということだ。また興行(見せ物)を見る観客の心理としても極めて"煽られたがっている"と言って良いであろうドーパミンが分泌されまくっている。これは一見テレビ的な作りとも言えるであろうが、昨今のテレビの作り手がヤコペッティを把握して作っているとも思えないので、もはや別物である。問題はその煽動されたものが果たして本当に「不誠実」な作り物かどうかというコンプライアンスや倫理観がこの時代にとっては必要不可欠な論点になってしまうということである。難しい話ではあるが、個人的には『Peace』のように誠実さを押し出す作品ばかりが増えていってもそれはかえって映画としてのハッタリやフェイク、ギミックの面白さを損なうものであるとも思う。だからこそあえて現代にはヤコペッティのような若手作家の出現を望んでいるのではないかと思ってしまうのだ。