ふと香る「名古屋の風」

■ぼちぼち買いたいDVDが発売されてきた。それすなわち「名古屋にいたときに劇場で見た映画」を思いおこすことなんだけども。名古屋生活はとにかく土日に映画館に通うのが楽しみで仕方なかった。そこそこの給料もいただけたから、1800円を払うのはあまり苦ではなく、名古屋の単館映画館は会員制度がやたらと充実しており、カードを提示すれば1300円〜1400円で映画を見れてしまうのであった。だから、平日の勤務で心を病んでも、土日の映画館ライフは逆に自分の脳裏には鮮明に残っている。先日『ビルマVJ』というドキュメンタリー作品のDVDを買った。名古屋ではシネマテークという今池にある小さな映画館で見た。シネマテークは一つしかスクリーンがない中、単館作品を非常に効率の良いタイムラインで見せてくれるので、自分にはありがたかった。いつも映画を見ると夜になっている。僕は映画を見た後の「時間経過」が好きだ。いつのまにか暗くなっていたり、いつのまにか寒くなっていたり、そんな体感時間の差異が劇場と日常を交差する瞬間がどうしようもなく好きなのだ。多摩センターのシネコンでバイトしていたころも、早朝から深夜まで映画館に子守りっきりというときがよくあった。その時に劇場の外に出た時の、多摩センターの空気を吸うのが気持ちがよかった。それは名古屋のワーナーマイカル大高とて同様の趣があった。『ビルマVJ』をDVDで見たとき、そんな名古屋の記憶が呼び起こされた。苦しかったことも多いが、実はとっても好きな街であったことに、段々と気づかされる。正直、もっといたかった。もっと名古屋の街を堪能したかった。3月。ちょうど大学卒業から一年が経とうとしている。結局、僕は出戻り東京にいる。東京は慣れ親しんでいるし、これといって不自由はないけど、たまに名古屋の映画館で映画が見たくなる。どうしてだろうか。今、短編だった自作を長編にする作業をたまにやっている。ぶっちゃけこれを長編にしたからと言って、おそらく自分自身のキャリアにも、与える影響力も大きなものはない。けどそんな「時間経過」を与えてみたくなった。気づいたら夜になっていたっていうくらい夢中になる時間を。スクリーンを見つめていたとき、自分の実生活と様々な想いが凝縮される。今はDVDでしか作品を披露していないが、劇場で自分の作品がかかるという夢は捨ててはいない。シネマテークのボロいビル、周辺の商店街の匂い。ゴールド劇場、シネマスコーレ、109シネマの名駅周辺の景色、大高の何もない立地にあるショッピングモール。なぜか今の僕は名古屋でかけがえのない時間を過ごせたような気がしてならない。

何となく記憶に残っている作品と場所。全て参考にしたい作品で、また映画としての臨界点に達しているものばかり。

シネマテークシルビアのいる街で

何も起こりそうにない静寂と、美しい女性と街並み。見つめた先には「憧れの暮らし」に近い「何か」

■名演小劇場『パリ20区、僕たちのクラス

ドキュメンタリータッチと呼ばれる手法の臨界点。スクリーン以外を見つめる事を許さない、圧倒的な演出力

■ゴールド劇場『ゾンビランド

正しいサービス精神。ぶれないエンターテイメント。

シネマテーク『何も変えてはならない』

観客を挑発さえするブレない、監督の視点。圧倒的な「映像力」として提示される美しきモノクロ。

ワーナーマイカル大高『ノッティングヒルの恋人』 500円で見れる旧作企画

500円で出会ってしまった、偶然性と旧作。シネスコで見られるありがたさ



■『ガクセイプロレスラー』放送終了。この作品で出来ることはほとんどやれた気がする。問題はこの映画は誰に届いたのか?映画界?プロレス界?一般社会? やはりインディーズであることの限界はあるよな

■109シネマズ名古屋『エンター・ザ・ボイド

大スクリーンで展開される長編実験映画。怪しさ、妖しさ。マジックマッシュルーム3Dをレイトショーで真剣勝負。

■センチュリーシネマ『酔いがさめたら、うちに帰ろう。

ただただずるいと思わせた主演女優と、共感させられる主演男優。

後は試写室でいくつかの作品を見た。

大学2年生〜4年生まで映画館で映写のアルバイトをしていたが、とても充実していた。
暗闇と、差し込む映写機からの光が自分に活力を与え続けていた。

もう一度、映画とは何か考えたい。自分が作りたい映画とは何か考えたい。