9/5 思った事

テレビ局時代の同期から転職すると連絡があった。あの時名古屋で知り合った友人たちで既に何人かの人が起業したり、転職したりしている。自分は具体的な挫折として、8ヶ月しか続けられなかったという悔恨があるにはあるけど、遅かれ早かれ決断はしてたんだとは思う

入社した際に人事部からは「様々な部署移動を経て、自分の天職を見つけて欲しい」みたいなことを言われたことがあったっけ。終身雇用モデルの価値観でその会社の環境内で天職を見つけて欲しいというメッセージ。環境の内部に天職があるのか、外部にあるのか人によって判断は難しいところですね。

友人の天職先、採用方法を聞いてクレバーだなぁと思った。そろそろ営業に回されると予感してたとは思うんだけど、その経験はディレクター道を邁進するためには必要ないと思ったんだろうし、好きにはなれないと思ったんだと思う。もっと沢山の理由はあるけど、自分の「好き」を突き詰めた結果だろうなぁ

でも働いてることが「好きかどうか分からない」状況の中で生きるために精一杯な人だって沢山いるでしょう。人間なのだから妥協せねばならない時、逃げなければならない時というのもあって、自分にとってこの環境ならとか、自分のスタイルを見つけられることはとても運がいいことなのかもしれませぬ

プロレスをやっている人の多くは「やりたい」と志願して入門テストを受けて入る。私は波口修に暴行され、大家健に鼓舞され、かつて負け続けた人生がフラッシュバックし、今ここでやらなきゃと思ったからやっている。DDTの映像班も偶然とタイミングが重なって運良く拾ってもらった

変なことだけども、今いる道にはエントリーシートがない。リクナビ的なサムシングが一切無い。エントリーシートを提出して、入門テストを受けることがなかった。ただただ運命に翻弄されたまでで、それでもヤル理由を見つけたのは自分自身出し、続ける理由見つけるのも自分なんだと思います。

何かと言いたいことも言えないこんな世の中ではあるんですが、少しずつ好きな編集のスタイルやプロレスの闘い方も分かってきて、ちゃんと自分の意思で選択してることも増えてきた。時に流れに任せてみるのもありだと思いますが、今の今成が言いたいことは「頑張ればなんとかなるよ!」ってことっす

こういうことをね、働きながらよく考えます。総選挙にエントリーしてるしてないに関わらず、常に皆様には言いたいことはあるような気がしていて、割と最近の僕は反町隆史の歌詞に反して少しずつ言いたいことを言えるくらいに、自分を見つけれているような気がします。まぁなので一緒に頑張りましょうよ

遠回りもそんなに悪くないよと思えるのは、遠回りしきった感あると何だか実感します。多浪も良いものではないんだけど、糧にはなってるし、テレビ局に短い間勤めたことも糧になってます。結局色んな事は「当時の感情」では分からないので、時間の経過というのはとても大事っすね

映像は「時間のデザイン」だから好きなんですね。「今」という意味も過去の映像を引っ張り出してくっつけることで意味が生じはじめるあの瞬間が好きです。プロレスの煽りVTRなんかもやっぱ「過去」と「今」を漂流してさんざん悩んで「今を闘う決意表明」を見せられるから良いっすね

なのでツイピクがなくなるとですね、たぶん色んな写真が記録から記憶の彼方へと葬られる。その瞬間にどんな現象が起こるのか、Twitter全盛のこの時代に多くの写真が記憶の彼方に葬られるというのはね、中々の事件じゃないっすかね。

なのでツイピクがなくなるとですね、たぶん色んな写真が記録から記憶の彼方へと葬られる。その瞬間にどんな現象が起こるのか、Twitter全盛のこの時代に多くの写真が記憶の彼方に葬られるというのはね、中々の事件じゃないっすかね。

ツイピクなくなるとですね、私は木曽さんにウォッチされた2011年後半から2013年頃までの記録がなくなって、その間生きてきた証明がなくなりますね。私はあまり普段から写真撮ってませんから、ツイピク事件は極めてバックトゥザフューチャー的な時間軸の問題っすよ