映像とプロレス

とある時期、僕は会社の立ち位置や上下関係、自分の実力について悩んでいるときがあった。ことあるごとにヤキを入れられ、自分の主張や、自分の思っている事さえも発信出来なくなっていた。

そんな時、高木さんに「プロレスも映像も根本は一緒だよ」と言われた事がある。

どんなに映像の文法がきちんとしていても、どんなに映像のクオリティーが良くても観客を満足させなければダメ、湧かせられなければダメという価値観だ。DDTに来てたぶん3年半くらいになろうとしていると思うけど、今この価値観が自分のベーシックなものになって生きていると思う。僕が観客の心を捉えたVTRを創れば高木さんはガッツポーズをしてくれたし、それはプロレスのプレイヤーになっても一緒だった。そこにキャリアどうこうではなくて、観客の心理を掴めるかどうか、突出した何かを持っている人間かどうかを見る目が高木さんにはあった。だから僕はその定理を自分に導入することに決めて生き始めた。

この価値観に基づくと色んな事がプロレスに思えてくる。そしてこのプロレスの定理に該当していくモノを創る事が実に大変であり重要だとにらんでいる。つまるところサイコロジーだと思っている。このサイコロジーを駆使出来るかが重要だと思うのだ。

先日見た「ワイルド・ビル」にはベビーターンをする瞬間があった。ヒールだと思っていた売春婦が一転してベビーフェイスとなり、主人公側に付くのだ。僕はその瞬間に猛烈に滾ったのを覚えている。100分の映画だからこそ見せられる表現だとは思うが、見事な心理操作だと思う。つまるところ、やっぱりこれもプロレスじゃないでしょうかね。

そんなことを考えながら、そんな考えを早く映像やプロレスで表現したいと思うのです