再会

昨日は久しぶりに友人たちと再会した。美術予備校→多摩美術大学と二つの学校を共にした連中だ。今は皆が現役バリバリで社会に出てクリエイティブな仕事に就き頑張っている。

今、思えば俺は常に自己確立に悩んでいた。自分らしさって何だろう。よくある若者の問いを俺は優秀な仲間たちとの間で問うてきた。あまりに回りが優秀で、自分が何になりたいのか、どんな作品を作りたいのか分からなくなったこともある。超優秀な人でも当たり前だけど悩む瞬間がある。俺は今ブレイクスルーをしている友人たちの苦悩を同時期に過ごせて本当に良かったと思っている。それでも今でも俺は俺が何なのか悩んでるんだけどな。

新宿の東口で会って早々、皆が俺のガタイについて口を揃えて驚くんで面白かった。俺は働いているところがプロレス界だから、普通なんだけど、一歩外に出ればそういう目で見られるというのは面白いなーと思った。いやガタイが良いなんて思われるなんて高校時代か、大学1年の頃くらいで、それ以降は特に鍛えたりとかしてなかったからそういう目で見られることもなく。けどこういう目で見られてまず特徴を相手に伝えられるのは良い事だよね。

よく多摩美に入れたなーと今でも思う。いや、今ならたぶん課題の読解能力とかそこそこにあると思うんで、受験したら入れる自信とかはあるかもしれない。でもまああのときは本当に多摩美に入りたい一心だったな。大学は良いとこでした。多摩美。凄い良い学校だった。友達にも恵まれた。あの匂い、あの景色が猛烈に懐かしく思える。橋本の景色、付き合っていた彼女、彼女の部屋、緑色の原付、バイト先、学生プロレス、図書館、部室。そんなファクターが俺に青春を残してくれたし、今こうやってplaybackの面白さに気付けている。

とにかくはっちゃけたくて、とにかく滾りたかったが、周囲の凄い連中に圧倒されるばかりだった。

そんな中でやっぱりプロレスという武器が最後に残った。卒制のテーマもプロレスだった。そして今はプロレス団体に勤務して、しかもレスラーも始めちゃった。でも私にとってはクリエイティブあってのプロレスなのだ。プロレス村という中にstayしたいという願望は一切なく、それをどう武器にしていくかという思考回路なんだと思う。

改めて彼らと再会することで「武器としてのプロレス」に自覚することが出来た。

私生活の話をしたら、何だか皆が驚いていた。それも良かった。俺はそれなりにぶっ飛んでいるみたいだった。パンクだ。パンクでありたい。パンクでなくていけない。皆がそれを自覚させてくれた。

皆が今成という価値を改めて証明してくれた。俺は俺らしさがあるんだ。ただのコピーなんかじゃない。オリジナルなんだ。俺には思考も発想も、ムーブメントも、言葉も、ガタイもある。

やっぱり良いな。この仲間は。直接仕事で関わっているわけではないけど、単なる現状報告ではなくて、しっかり発見があるんだ。
次は彼らにしっかり作品で届けたいよね。こういう作品を作って社会と関わっているんだって。
そしてまた彼らから意見を聞きたいと思う。