だだ漏れ

大学の授業で一番最初の感銘を受けた授業は「映像論B」だった。ただ2コマの講義時間を使って映画を見るだけの授業だが、毎年それぞれテーマが設けられていて、そのテーマに沿った映画が紹介されていく。そして授業はホスト役として司会を務めるヲノ先生の軽快なトークでとにかく面白かった。

そんなヲノさんがFBで面白い記事を書いていたので引用します。以下、



授業で無記名アンケートとると、成績に全く関係ないのに色々書いてくれる人がけっこういて(美大生らしく、かなり描き込んだ絵つきのものまであったりして)楽しい。なんか「評価とか関係なく、とにかく言わずにいられないから書いちゃう!」という衝動?愛?勢い?みたいなのが伝わってくる。

そういうのを読むたびに思うのだが。たかがアンケートでもつい色々「表現」しちゃうような、損得勘定関係なくついつい欲望やエネルギーが自分という蛇口からダダ漏れしてる状態って、ものをつくる人間だったら自然な事だと思う。

「俺は作品で全てを語るから言葉で説明はしない」なんてカッコつけてる人の作品が面白かったためしはない。ふだん何ひとつ表現しない人が作品つくる時だけ饒舌になれるわけがない。

(もちろん「天才」なら別だけど、天才だったらそもそもこんな話、関係ないよね)



ダダ漏れというサムシング。今の僕はそれがまさにダダ漏れしている。表現をする場は限られているが、それ以外でも何かを伝えようということを止めたりはしない。何故こんな感じになったのか。ノってる状態ってこういうことなのか。よく分からないけど、俺は天才じゃないからダダ漏れて良いんだ、寸止めにしなくて良いんだというのは凄くよく分かった気がしている。