2014年02月12日のツイート

ほぼ同年代の大人がいて、一人はとにかく小言を挟みたがり、説教がとにかく大好き。もう一人は若者を上手くリードし、その若者の可能性を引き立たせるのが上手い。何故か二人の大人の顕著な違いをまざまざと感じてしまった。

確かに説教は気持ちが良い。持論で、若者を論破するというのは気持ちが良いのだ。年長者の妙だし、勝ち誇った気にはなれるし、知識や経験がそこで照明されることも多いだろう。それでも受け手側の若者に「面倒くさい」と思われたらもうアウトなのだ。

自分も人間としてトゥーマッチな部分がまだまだあるが、それらを解消し、若者に理解ある立場でありたいと思うようになった。結局のところ”未来”を提示出来る最も分かりやすい手段は若さであるからだ。そういう意味では若さの記号としての20代はあと1年半で、僕は失われてしまう。だから猛烈に焦るのだけど。

最近はやりがいを与えてもらえている機会が増えた。やりがいに対して私が100%の期待を応えられている自信はないよ。でもそれを継続させてもらっていることに有り難さを感じている。一方で高慢な大人の存在も見えやすくなってきた。何だろうなあ。とにかく大人の面倒くさいと、かまってちゃんと、何でもかんでもツッコミを入れる精神はとにかくなんだかなーと思いました