21歳の奪還

■何だか最近不思議な感覚に襲われている。それはSALE商品を買いに衣服を買いに行った際のことだ。だいたい服を買うときの決めてはピンと来るかどうかの一点につきてた。自分のフィーリングで着たいものを買っていた。だが、最近は自分でも無難な衣服のチョイスが多かったのだ。だが、ここに来て柄シャツを2点も購入してしまったことに気付く。だから何だよって話だけど、この柄自体に見覚えがある。あぁ21歳の時に買ったシャツとそっくりだった。21歳と言えば、俺史上最も野性的かつエロティシズムに満ちており、自意識の発露と時代がフィットした時期だった。何故かあの感覚がフラッシュバックする。あの頃は身体もスマートで鍛えられており、また身体も軽やかだった。行動そのものも実に野生的で、本能的な行動に基づいていた。あの時の野生に近い今成が今蘇ろうとしているのだろうか。少なくともここ数年チョイスをしなかったシャツを買った。そして野心的な想いが爆発し、Twitterですらすらと言葉が出て来てしまう。俺は俺自身であの頃の自分を奪還しようとしているのだろうか。つまり大学2年生の頃。スパークしていた青春を身体が再び突き動かそうとしている。ジムで積極的に身体が走らせる。映画館に足を向かわせ、思考をフル回転させる。一体何なのだ。いや、まて。俺は飯伏さんの言葉に突き動かされている。何だ。これは本能を獲得しろというのか。野生のあの頃を取り戻せというのか。もう止まれないぞ。俺。

■昨日の夜中からスミスさんが至言を呟きまくってた。そのどれもがスミスさんの中の真理だろうし、僕にも思い当たる節が沢山あった。その中に作れるのならば下積みはいらないし、作れないのであれば下積みは必要と書かれていた。3年前、全く作れなかった自分は下積みで苦労をした。下積みそのものに、下積みという概念に、下積みかどうか分からないものに苦悩しながらも、やっぱりそれは下積みで僕にとって必要だったので、今になって思う。誰もが飛び級をしたくてたまらいし、スピードと若さが必要な時代に、今下積みがあって作れていることを実感している。俺に下積みを積んでくれた先輩たちには巡り巡って感謝の思いが沸いて来る。