『スティーブ・ジョブズ』とか『42』とか

■何か変な熱が自分の中で高まっている。映画を鑑賞したいとか、音楽を聞きたいとか、美術を見たいとか、筋トレをしたいとか、そういうのが全部自分に返って来るようなエネルギーの使い方を自分自身が臨んでいるような感じというか。『スティーブ・ジョブズ』は思いのほか面白かったんですね。これはある種の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のような理想や理念を追求していく男達の話のようにも思えました。結局そういう衝動や理念に基づいて行動する若者の集団や、その人間模様、組織のあり方や、人の動かし方というのが一番共感性が強いんじゃないかと。単純に僕自身がそういう状況下においてここ最近何かを感じる事が多いというのがあるっていうのはあると思うんですが、それでもアップルの理念やジョブズの生き方というのは人が行動を起こすには十分過ぎるくらいに分かりやすいものなんです。それははっきりと「コンセプト」という形で目に見えているし、それこそが人に届く感動なんじゃないかと。細部のデザインの努力とか、そもそもデザインが何故人を動かすのか、デザインが感動するポイントって何なのかって言ったら、やっぱりその理念が生活と結びつき変化や変革が人それぞれに与えられるということに尽きると思います。あぁそういう意味では「デザイン」自体の興味も随分失ってしまっていたなというのはあるんですが、親父がデザイン事務所に勤務していたことがあるとか、僕もグラフィックデザインがやりたいと勝手ながらに思った学生時代。しかしながら何故に2浪もしてしまったのかと考えると、これは単純に理想や理念、好きなデザインやそれで人を動かしたいという設定や設計が出来ていなかったからでしょう。結局デザインが「好き」かどうかという部分で徹底的に好きと突き抜けられるものがなかったんですね。たぶん美術大学に入りたいという邪な気持ちしかなかったのかもしれません。しかしそういうものは見透かされる。しっぺ返しが来るんです。だからというのもないんですが、有名になるためにプロレスをやるとか、プロレスが「好き」と言い切れない人のプロレスって結局見透かされてしまう。やはり理念や理想がなければ、それで人をどうこうする考えもないからだと思います。そういう意味では僕はガンバレ☆プロレスをやるために生きてきたのだと思いましたし、ガンプロのコンセプトというのが実に僕の実人生を過激な理念や理想として駆り立ててくれています。しかし同時に時代というのはそういう先鋭化した理念や理想がなければ生まれる事はないし、時代に見合った表現しか歴史に残らないのではないかと思いました。そんなわけで『42』も併せて見たんですが、これも組織のお話でもあったんですね。これは逆に言えば一人の人間が何を敵と設定し、何をライバルと認定し、何を奮い立たせる要因にするか、そんな各設定を人生に配することがどれだけ重要かというですね、そういう意味では壮大な煽りVにも思えて来る。勿論黒人差別をする連中の圧倒的な「ヒール」としての役割はこの映画の重要なキモだと思うのですが、アジられたときに「我慢することを覚えろ」と言いリベンジすべき現象を野球という場において設定しているところが主人公ジャッキー・ロビンソンをレジェンド化させた一つだと思います。さらに言えば人はそんなリベンジをしていく状況にこそ煽られる。チームメイトが煽られれば、次第に観衆が煽られていく。この映画はその様子が真摯な演出で映し出されているだけでなく、心地よさを兼ね備えながら、「共感」というものは何かをしっかりと提示している。凄いんですね。共感させるためには「敵」の設定が必要であり、敵にアジられながらも、耐えて、自分の持っている能力を引き出し敵を倒すことが必要であると。そしてその共感が見事に合致したときに人間はカタルシスを感じるのだと思いました。これは成功体験の話にもなってくるかと思いますが、人が感情移入出来るために人生にどのようなドラマを作っていくべきかというある種の教科書的な作品だとも思いました。しかしこの2つの作品に同じような感想を持つのは、僕がきっとそれの答え合わせをしたくてしょうがなかったんだろうなというのがあるからだと思いました。