リスタート

もう誰が読んでるかも分からないBlogを久しぶりに更新してみる。更新というより自分に向けた日記。
ガンバレ☆プロレス渋谷大会を終えて、反省点が超出てきた。

確か僕が最初に表現ということを意識したのが17歳だったんですよね。17歳の時に普通の大学に行きたくないと思って、美大進学を目指そうとして予備校の春期講習に通い始めてデッサンを描いた。でも表現だなんて思えてないわけですよ。それは。ただの「受験勉強」。だから表現っていうのものの探求ではないわけです。いつまで経っても思考回路は「受かるために何をすべきか?」っていう行動だったわけです。

それで2浪したら、まあ気合いで受かるレベルにまでは到達してますわ。それでも表現の勉強をするというよりかは「大学デビュー」が出来るという意識が先行していて。表現の事なんか全部後になっちゃってて。まずは自分の居場所を作ったり、楽しむことが先行していたように思えたんですが、実際に表現について勉強をしているんだということを意識したのはもっと後からのでした。

その時に何者になりたいとかそいういう野心みたいなのも一切なかったんですが、何となくインディペンデントの規模でも映画が出来るんだということが分かってきて、とりあえずそこを目指すかーみたいな感じでしたけど。

そんなこんなで今は映像もやりながら、プロレスもやるというのが今現在の僕のスタンスですよね、分かりやすく言えば。決して大学時代にもそういう生き方をしているということは一切想像していなかったし、それが自分の中で夢だという風にも認識はしていなかったと思います。

そんな中で、自分のヒット作って未だに作れていないんですよ。ヒット作というのは多分、自分の言いたい事が言えて、自分の伝えたい手法で、社会とコミットするということだと思うんですが、大学を卒業して数年、もう結構なペースで創作というものに向かい合ったし、表現というものにも向かい合ったはずなんですが、未だにそれが世の中に流通していないし、認められたという対価のようなものも享受出来ていないのが現状です。卒業制作のことを本当にウダウダと引きずっているのか、引きずっていないのか分からないんですけど、あういう主張と、自分の好きな方法論と、自分の好きなキャストで映画が出来たら最高なんですよね。でもあれはやっぱりアマチュア時代に作ったものとも言えるわけです。

しかもアベレージを持っているわけではない、常に何か一定の質や価値を提示出来ていない事にもちょっと最近愕然としてしまったわけです。それでも自分の中で良いなと思える作品を生み出せるのは半年にいっぺんとかそんなもんです。

これって気付いたとき、予備校時代とそう変わらないじゃないかと思ってるんですね。たまに予備校のコンペとかで良い評価がもらえたりするけども基本は中から中の下みたいな。そういうペース配分とか打率がずっと一緒になってる。ずっと2割打者。9番バッター。でも気持ちは毎回ホームランを打ちに行ってる。だけどまず一塁に進出を考えなきゃいけないのにとかね。

結局、28にもなってまだ自分がよく分かっていない。悔しいけど、それが現実なんだと思いました。30までに何とか!とか思ってましたけど、たぶんあっという間にこのまま30歳になってしまうと思う。でも30になる前に自分が分からなくなるとか、マジでキツいですよ。

煽りVでも飯伏幸太vsオカダ・カズチカは煽れた!というものになった。だけど数ヶ月経って見返すと「うわーフォントださいなー」とかもうそういうのがいくらでも出てきてしまう。まあ作品ってそういうものなんだろうけど、別に僕の人生に「飯伏幸太 vs オカダ・カズチカ」というのがフィルモグラフィーになるわけでない。やっぱり煽りVのディレクターで名が出るのは佐藤さんくらいに凄い信念があったりする人じゃないと無理ですよ。

この見えない路頭は何でしょうか。
いや楽しい事をやっているのは確かなんだけど、もう確実に楽しいだけじゃ生きていけない。つまり自分の求める満足度が高くなってしまったんですよね。

煽りVの制作で確実に人間と向かい合うようになったし、プロとしての技術と向かい合ったことや人間関係で悩んだ事とかもいっぱいありました。段々と人の人生を煽るのもしんどくなってきた。

だって自分が煽られなくちゃいけないのに、人の人生を煽ってる場合なのかとか、いやでもそれが今与えられた仕事だしなーとかもあるし。でも結論は

人生は煽り煽られ

だなーということです。
自分の友人で北谷君という男がいて、彼が僕に上手い事アドバイスを言ってくれるわけです。今成さんはこうしなきゃダメですよみたいな、結構VTRでも手厳しいことを言ってくれる。それでもって今、僕が何者かにならなくてはいけない状況も彼は察してくれているわけです。こういう武器があるのだから、それを使わなくちゃ。それを使って自己演出出来るのなら、そうしなきゃってなったんですよね。でも結局プロの制作者って皆そうだと思う。誰かがアドバイスして、誰かの批評があって生きている。そういう意味ではですね、沢山の気付きが本当にあったココ最近なんですよ。

プロレスも映像も一緒で、自分のクリティカルヒットは本当に数ヶ月に一度。でもそのアベレージを高くすることが求められているし、それは自分への厳しさもそうです。

そして何より自分のメッセージを伝えたい。
それに尽きる。大人になればなるほどに、落胆することは多くなる。人間のゲスな部分が見えてネガティブな要素が強くなってきます。もう勘弁ならないし、きつい。

まあでも生きてるだけでもうけもんですよ。実際は生きるか死ぬかという単純な見方をしてしまえば、生きているだけでこれから先の未来のテクノロジーだって見えますし、だから落胆したときこそ、自分の力を発揮するしかないってことですよね。

朝があれば夜もあるし、表もあれば裏もある。28年生きていれば両面が見てきてますけど、地球の裏側にだって行ったことはないし、まだまだ自分が生きている世界なんて狭いということを考えたら笑えてきた。

確かに何者かにならなくちゃいけないんですよ。
テレビ局を辞めてから、バックに何もない。まあDDTはあります。DDTのおかげでまだ地下映像屋というイメージが保られているけど、監督として地下にいるまんまじゃダメだと思いました。

学プロの時に自分が対世間で闘っていた事を思い出しました。
皆が技の研究に着手していたころ、僕はどうやったら世間と闘えるかを考えていました。構造に興味があったんでしょうね。だから映画を作った。作るモチベーションもあったし、キャストもあったし。でもあれ一つでは状況は変わらなかったですね。でもDDTに入るキッカケが作れた。そしてそれから3年が経とうとしている。オカダvs飯伏は自分の中で一つのケジメを付けられました。言いたいことも言えないこんな世の中に対して、プロレスが世間と闘っていくという意思を超一流の二人の背中に乗せることが出来ました。いまでもそれは自分の中では大きい。

でもあのVTRでは私の名前は出ないのです。お客さんからしてみればあれは今成が作ってるとかどうでも良いことですが、自分の中ではもう作家として認めてもらいたいという欲が発生してしまっている。もうその気持ちに関しては押さえられないと思います。だって悔しいという気持ちが発生してしまっているんだから、何かしらの勝負が見出されているんだと思います。

名前が通ればかつてかつて辞めたテレビ局にもリベンジが出来ます。その他見返したい人は沢山いるんですよね。
復讐心かよ!ってどういうことやねんって感じですが、それがモチベーションになっているのだから使うしかないです。だって人生は闘いだからです。喧嘩ってことじゃなくて闘い。承認欲求が無駄に高くなってしまっているのも28歳になった自分なら必然なのかもしれないと思えます。

だからそういう気持ちが嘘じゃなくて、リアルであるんだということを今、ここで記録しておくことが大事ではないかと思った。煽るためには煽られなくちゃいけない。自分の物語も進めなくちゃいけないんですよと。とりあえずここに宣言しておきます。