ガンバッテー
「お前、大家と一緒だよ!」
ある時、僕は人からそう言われるようになった。
この言葉が意味することは何か?
それは良いイメージなんかじゃない、非常に悪いイメージで捉えられる。
この言葉の意味を一言で言ってしまうと「ダメ人間としての烙印」だ。
お前はダメだ。だから大家と一緒だ。そういうニュアンスだったように思える。
次第に僕はそういうニュアンスで人から見られるようになっていた。
自分で言われてもピンと来なかった。自分は大家さんのようなミスはしない、大家さんとは違う。どこかそう思うようにしていた節があったように思う。
けど実際その通りで、追いつめられる度に逃げてしまう、パニックになってしまう。シャキっとしてなくて、ズボラなところがある。仕事に対してどこかしらで隙を見せてしまう。それはいつしか存在そのものが突っ込まれる対象となり。成果が出ない原因を自分自身で付き詰められず、自分は何でダメなんだと自己嫌悪に陥るような感じだ。
昨年、武道館大会も近づいていたある時、大家さんは仕事で精彩を欠いていた。心身共に疲れていたのだろうし、集中力の持続もキツかったのだろう。僕は大家さんの仕事に対して怒ったことがあった。そのミスは事前に防げたことだし、大家さんが担当している業務としての意識が低いような気がしたし、何故だか僕に頼りっぱなしの大家さんが見受けられたように思う。仕事に対して人ごとのような態度が何だか許せなかった部分もあった。だから自分にしては珍しく、人に対して怒鳴りつけてしまった。
翌日、大家さんはトレードマークの長髪を切って、僕に土下座してきた。8つも年下の僕に怒られて、頭を下げた大家さんに、僕は何だか申し訳ない気持ちで一杯になった。僕は大家さんに「僕らはインディペンデントな人間で小さい組織だけど、だからこそ、ここで僕たちが少数精鋭で踏ん張らないとダメだから、また一緒に頑張りましょうよ」と言った記憶がある。大家さんはその失敗を取り戻さんとそのから早朝から深夜にかけてDDTの地下倉庫で汗をたらしながら、働くようになった。その姿を見て、自分は何だか申し訳なくなった。自分が怒ってしまったことで、大家さんが更に雑務に忙殺されることとなったし、けど怒らなくちゃいけなかったし、でも人に対して自分が怒れる立場の身分でもないし、なんてことがずっと頭がぐるぐるしていた。
武道館大会直前、僕は仕事で失敗をして怒られまくった。自分一人の失敗ならまだしも、多くの武道館出場選手に迷惑をかけてしまった。取り返しがつかなかった。度重なる叱責と、自己嫌悪と疲労で何も考えられなくなった。
そんな時、事務所近くの路肩でうずくまっている僕に大家さんは声をかけてくれた。
「今成、大丈夫か? 俺は良いんだよ、仕事で失敗してもプロレスに逃げれるから。逃げる先としてプロレスがあるからさ、俺にはプロレスがあるから。けど今成には逃げ場所がないもんな、辛いだろ? けど俺はお前の味方だから。」
大家さんはそう言ってくれた。
大家さんが逃げる場所としてのプロレスと言っていた真意は分からないけど、大家さんは恐らく追いつめられた時の救いの場として、自分にはプロレスがあるというニュアンスで伝えてくれたのだと思う。今成は怒られても、救いの場がないし、気持ちを発散で出来る場がないから大変だよな。そんな気持ちを伝えてくれた。
大家さんは映像の仕事が如何に積み重ねで出来ているのかということを知っている。坂井さんや藤岡さんを間近で見てきて、そして僕を間近で見ている。だから大家さんなりに僕が与えられている仕事や、そこで起こっているミスや、その重大さも理解してくれていたように思える。
あの時、僕はそんな大家さんの言葉に救われたと思う。
大家さんがプロレスラーとして強いかどうかは分からない。もしかしたら弱い部類に入るのかもしれない、人間としても強い人なのかどうかも分からない。もしかしたら人間としても心の弱い人間なのかもしれない。けど大家さんは弱さと向き合い続けてきた人だと思う。弱いことに自覚したからこそ、どんな言葉で声をかければ良いのか分かっている人だと思った。あの時、かけてくれた言葉は強者の口からは出るものではないと思う。
大家さんはその後、売店部長の座から退き、ユニオンプロレスも撤退になった。行き場所のない大家健。同世代のレスラーが次々とブレイクする中で、大家さんはやはり影の道を歩いていく印象が強かった。
そんな大家健が新団体を作る。名前はガンバレ☆プロレスだ。
僕はその団体に参加することになった。
旗揚げ記者会見の際に現れた浪口修選手に襲撃された。
僕は撮影していたカメラが壊れないように、守るしか出来なかった。
全くもって僕が殴られる理由が分からない。激高する浪口選手に近くにいたから、ただそこにいたから、何かむかついたから、何か腹が立つから周辺にいた僕が危害を加えられただけなのだろうか。
「あぁ俺の人生、こんなこと多いなぁ。」
浪口選手に殴られたとき、あの瞬間そんなことを思った。
就職した名古屋のテレビ局で
「おい、愛知県民じゃないお前が何で営業やってんだよ?」
と隣のデスクで同い年の男が僕にそう言う。
僕は心の中で、
「そんなこと知らんがな、人事部が決めたんだししょうがないでしょ」
と思った。
ある先輩から
「お前の24年間なんか意味はないんだ、ここで働くんだったらそれを捨てろ。お前は機械だ。マシンになれ」
そう言われて、会社に忠誠を誓おうと思った。けど、好きな先輩がいなかった。自分から尊敬するような人がいなかった。
次第に逃げ場所を探すようになった。週末は映画館に逃げた。早くあがれる日もレイトショーで映画館に行った。
映画館にいれば、会社の携帯が鳴らないように電源が切れるし、
暗闇の中でスクリーンに投影されるているお話に感情移入することで、現実から逃避出来た。
制作部にプロレスが好きなI先輩がいた。僕もプロレスが好きだということで、その人に可愛がられた。プロレスの話をして、ちょっとは楽しくなった。
入社してしばらく経ち、夏になった。
一緒にIさんと愛知県体育館にG1クライマックスを見に行った。
数日後、I先輩が「おい、今成! 週プロの表紙見たか?プリンス・デヴィッドが2階席からプランチャやってるところに俺ら二人が映り込んでるぜぇぇ」
「先輩、凄いっすね。うちら表紙っすよ!」
「おい、今成ぃぃぃ!今度番組のゲストに大谷晋二郎さんを呼ぶことになったぞぉぉぉ。やったなぁぁ!」
僕はI先輩とそんなプロレスファンらしい会話を続けていった。でもそんな会話も現実逃避の一つにしか過ぎなかった。
しばらくしたら隣のデスクで同い年の男が机を叩きながら、
「お前よぉぉぉぉぉ、バカじゃねえか。お前の上司はIさんじゃねえんだよ、先輩は俺なんだよ。お前がIさんに可愛がられようが、営業部はしったこったねえんだよ。てめぇ今日の部の飲み会でぜってぇ串揚げ100本食えよ!!吐いてでも食えよ!この業界は太ったヤツが得するんだよ、おい、そういう儀式があるんだよ。分かってんのかよ?」
結局飲み会で20本ちょいしか食えなかった。
先輩の怒号が飛び交う。
意味が分からなかった。こんなこと通常の業務と何の関係があるのだろう。
理不尽だ。
僕は部長に言った。
「これは業務と直接関係ないことで、僕が仕事をする上で支障をきたしているので、彼に注意して欲しい」
数日後、僕はとある先輩に呼び出された。
入社、4年目から5年目の先輩たちに囲まれた。
そこには研修のときによくしてもらったH先輩もいた。
「おい!てめぇよぉぉぉぉ!何、先輩売ってんだよぉぉぉぉぉ!」
コメダコーヒーの片隅で怒号が飛び交う。
「いや〜先輩を売ったらアカン」
「アイツは今成のためを思ってやってるんだぞ。分かってるのか??」
他の先輩が追随する。
「はい、すいません。本当にすいません…。」
浪口選手に殴られて、
そんなことが一瞬のうちに脳裏を過った。涙が出てきた。
そんな時、目の前にいたのは大家さんだ。
大家さんが何か叫んでる。僕に向かってだ。
何て言ってるんだろう。聞き取れないや。
あぁもうこんな人生嫌だな。
でも社会ってこんなもんだな。
歯向かっちゃいけないし、先輩の言う事が絶対だから、
だから、このまま何となく怒られないように仕事しよう。
そう納得しようと思ったとき、一つの言葉が聞こえてきた。
「今成ぃぃぃぃ!悔しくないのか!?」
執拗に暑苦しく、男は僕に呼びかける。
涙で良く見えないけど、目の前にいるのはやっぱりオールバックにした大家健だった。
なおも僕に呼びかけている。何だろうこの人。
あぁだけど悔しいなぁ。
いつもそうだったなぁ。
前の職場でもやり返したかったけど、殴られるの怖いし、喧嘩も弱いし、
変な噂になったり、気まずくなったらやだな。だったら、我慢して生きた方が良いや。
あぁ、だけど嫌だなあ。もうこんな思いしたくないや。
27年も生きてきて、もう若くもなくなってきてて、人生も一度しかなくて、親父が無職になって、好きでもない仕事頑張って大学まで入れてもらって、就職した会社辞めて出戻って。何やってんだろう。
けど、こんな思いしたくて東京に戻ったんじゃないや。
やっぱり悔しいのかな。悔しいんだ。でも悔しいって良いのかな?
先輩に言われた事は絶対だから、やっぱり言う事聞かなくちゃいけなかったはずで。でもやっぱり理不尽だ。これ、理不尽だわ。つーか、何で殴られなきゃいけないんだ。そこに弱そうな男がいたから、僕がいたから殴られたのかな?
あぁこんな人生嫌だわ。
悔しいわ。やり返したいわ。
そんなことを思っていたら、
僕は自然と大家さんの言葉に呼応していた。
気がつけば3月6日のプレ旗揚げ戦で試合をしていた。
浪口選手の攻撃は痛くて、痛くてたまらなかった。
そして負けた。
そんなとき、お客さんの声が聞こえた。
「今成、お前も何か言えよ!」
脳裏に自分がその日に感じたこと、今後の人生、今までの自分が思い浮かぶ。
もしかしたら大家さんと一緒にプロレスをすることで、僕の心の奥底に眠っている何かを託せるのかもしれない。
「大家さんとガンバレ☆プロレスを旗揚げしたいです!」
気がつくと、僕は自然とそんな言葉を発していた。
そんな僕らには仲間が必要だった。
仲間が必要だった僕に、
声をかけてくれたのは僕が学生時代に制作したドキュメンタリー映画の主人公となってくれた冨永真一郎だった。
僕が大学4年の頃、大学4年間の集大成となる卒業制作を作らなくてはならない時期、自分は周りの友人たちの才能たちに押され、ただ自分がその域に入れない事に悔しさや焦りを感じる毎日だった。特に手書きアニメーションと呼ばれる、アナログな画力とデジタルの映像ソフトの組み合わせによって独自の表現を身につける生徒が多数現れていたことが、焦燥感を更に増していった。同じ映像であっても圧倒的に表現としてのレベルや志が違うように思えてしまった。
僕は4年間の集大成で何を伝えれば良いのか分からず途方にくれてしまった。そんな時、「レスラー」という映画が公開された。かつて隆盛を極めた俳優ミッキー・ロークがアルバイトをしながらもリング上で奮闘するプロレスラーを演じる。そんなインディープロレスの世界を描いたお話は、自分が大学の隅っこでやっている学生プロレスの世界に極めて近い何かを感じ、僕は劇場で大粒の涙を流しながら、それでも自分の心の中の震えを感じ、こんなお話を作りたいという衝動に駆られた。僕は直ぐに行動に移す事にした。自分たちがやっている学生プロレスの世界で感じた事を、そのまま映しだそうと思った。しかし僕が主人公になるわけにはいかなかった。誰か自分の気持ちを代弁してくれる被写体となる主人公が必要だった。そんな時、他団体のチャンピオンであったエロワード・ネゲロという男をキャスティングしようと思った。
僕はビデオカメラを持って冨永君の周辺を撮影するようになっていった。彼らには多くのコンプレックスがあった。学生ラウンジでたまっているリア充サークルたちへの恨みや、その非モテのエネルギーをプロレスに注ぐことで、自分たちの大学生活を青春として無理矢理にでも肯定させ成立させようとしていた。
友人たちと性風俗に通い、裸で騒ぎ、単位も未修得のまま、それでも冨永たちは自分たちのとって本当に注ぐべき青春が何かなのかをしっかりと理解していた。それが学生プロレスだった。プロレス研究員となった彼らは大好きな小橋さんたちを研究することで、そのエネルギーを自分たちのカラダを使って放出する。
映像になってもリア充と呼ばれている連中たちと比べてみてもよっぽどキラキラで輝いているように思えた。僕は確かな手応えを感じた。これが僕が伝えるべき物語だと思った。
自分は作品を完成させることが出来た。
審査会で担当していた教授たちが「良い作品だ」と言った。
コンペに出して、世の中に問う価値があると、
ゲストで来ていた写真家の先生は
「大学教育そのものの価値を疑わせる何かがある、単位をとっていない彼らだが、大学教育では教わる事の出来ない何かを学生プロレスを通じて、得ている。」
そう言ってもらえた。
僕は作品を世に出す事にした。色んな映画祭で招待され、そこそこの話題になった。
その作品がキッカケで冨永はプロの世界に入った。
学プロの世界が甲子園のような世界に例えられ、冨永はある種のエリートとして世の中に伝わった。
デビュー戦としては破格の大物エル・ジェネリコと対戦し、彼はプロデビューを飾った。
僕らは誇らしげだった。自分たちの仲間が、文化が、コミュニティが認められたと思った瞬間だった。だけど代償は大きかった。
冨永は中々、大学に通えず2年目の留年が決定してしまう。
更に冨永は数ヶ月後、試合中に腕を骨折する怪我をしてしまう。
腕を使えない冨永は苦しい生活を余儀なくされた。
そして数ヶ月後、冨永ユニオン退団のリリースがネット上にアップされていた。
だけど僕らは時間を見つけては時々会っていた。
冨永君がアマチュアプロレスのコミュニティを作り、社会人を続けながら、プロレスを続けている事、プロの世界で挫折してもプロレスが好きでいる彼を見ていられるのは嬉しかった。
今でも、僕にはそんな学生時代から、共にプロレスをし、その世界を映画にし、世間に挑戦出来た大事な友人たちがいる。
その中でもアーナルガ・シワクチャジャネーガーというリングネームで活躍していた石井ちゃんという友人は僕らに常に影響を与える存在だった。彼は2008年当時立教大学生として学生プロレスをしていた。そんな石井ちゃんが中心となって関東にあった学生プロレス団体が一同に介し、皆で力を合わせて新宿FACEで興行を開催した。650人ものお客さんが集まり、僕らはその熱い瞬間を共有したことが後にかけがえのない財産となることをその時、既に理解していたのだろう。
興行終了後、mixi日記には参加した選手が思い思いに熱い気持ちを書き綴っていた。
そんな中、石井ちゃんのmixi日記の文末にはこんな文章が書かれていた。
「今回よりも充実した瞬間を社会人になっても量産していきたい。
常に今が自分の中で一番楽しいと思える人間でありたい。
ちなみに今は今が一番楽しい!!! 」
それは意訳すれば ”常に青春を更新すること”だと僕は受け取った。
よく冨永君と会ったとき、石井ちゃんのこの言葉が話題になっていた。
それだけ、"今が最高"と自信を持って言える毎日を過ごすことは難しい。
気がつくと僕と冨永の会話は社会の厳しさや、
「上手くいかないね」っていう愚痴の言い合いになっていた。
卒業制作の続編が作れたらなんて思って、
カメラを回していても、モニターに映る冨永君の姿は学生時代よりも輝きを失っているように思えた。
青春って何だ?
時々思う。学生時代は本当に楽しかった。
けど、何故あの時を更新出来ないのか。何故あの時は良かったと思い返してしまうのだろうか。
そんなことを思っていたらそう言い続けていた石井ちゃんは海外に転勤になり、上海に行ってしまった。
「就職した会社は頑張れば海外に行けるんだ。だから、海外に行けるように頑張らないとだな」
学生時代から石井ちゃんからそう聞いていた。入社して数年。石井ちゃんは青春を更新し続けて、舞台を海外に移した。
冨永と僕は石井ちゃんの結婚式にも出席していて、僕らは増々取り残された気分になった。
そんな時、冨永君から電話が来た。
ガンプロに出てみたいという旨だった。
多くは語らなかったが、冨永君が何が言いたかったか、僕はすんなりと理解出来た。
「僕たちの青春を更新しよう」
そういう意味だったと思う。気がついたら、冨永のライバルである尾谷も付いてきた。アイツなりに冨永が動いた事で、突き動かされる事があったんだと思う。
ここに書いたことは勝手に僕、一人がこう思ってるだけで、
僕の中でこういうお話になってて、そういう理由で闘う理由があって、旗揚げ戦という舞台がある。全然脈略がないようで、僕にはとっても意味があることばかりだ。
僕は何のために闘うのだろう。
一人の映像スタッフがリングに上がる資格を問いただされれば、僕は正しい答えを出せる自信がない。しかしそのような問いが本質的な問題なのではなくて、悔しいと思える感情でもう一度人生を盛り返せれるかだと思ってる。負けっぱなしで良いのか。自分の想いが叶わない人生で良いのか。気付いた時には年だけをくってしまう人生。だから青春を更新しなくちゃいけない。
1年前『ヒミズ』という映画が公開されてた。
賛否両論あったけど、の理不尽と闘わなくてならない、そんな状況下において
最後に川岸で二階堂ふみ演じる景子は染谷将太演じる住田佑一に「スミダ、ガンバレ!」と泣きながら絶叫するシーンに僕は胸を打たれた。
大家さんが名付けたガンバレにはこのシーンのガンバレ!ととても近いものがあるのではないかと思った。頑張れという言葉の魔法、僕なりにこの言葉と団体名の意味を解釈した。
大家さんがいる、冨永がいる。ばってんさん、尾谷がいて、木原さんが来る。翔太君もいる。僕らはスターじゃないけど、
それでも自分たちの青春を更新するために、役者は揃ったと思ってる。
僕らは日常の延長線上に闘いがある。
さて、今日も編集が終わらない。
よし、頑張ろう。
ビッグバン・ベイダーのガンバッテーも良い言葉だ。
チケットも受け付けております。
yumehito.0922@gmail.com
ガンバレ☆プロレス舐めんなよ。