トッド・フィリップス

トッド・フィリップス監督初期のドキュメンタリー「Frat House」がネットにあった。GGアリンのチンポに続きこれまた多くの過激なシーンの連なりと、「プッシー」と言いまくる大学生たちの姿。このノリが後の「ハングオーバー」を生んだというのは僕にとって希望だ。このノリこそが創作意欲だ。やっぱりトッド・フィリップスは心の師匠だ。そういえばこのノリって淳之介さんのノリじゃん!!すげー!

デフレ化するセックス (宝島社新書)

デフレ化するセックス (宝島社新書)

非常に分かりやすく統計が提示され分かりやすい本だった。高学歴化が進む風俗業界というのは個人的に思い当たる節がありすぎるわけで、自分が行っていたフィールドワーク活動と完全に合致したので、ここに書かれている本の信憑度が自分の中でもとんでもないことになっています。しかしここで書かれている統計、特に容姿を判断材料としたスペックとして偏差値別に収入や生活を段階的に分けているのですが、非常に恐ろしい反面、この見方というか厳しさというのは何かしらのショービズに関わっている人にとって必要不可欠なのではないかと思ってしまった。

企画単体AV女優を頂点とするセックス業界はまんまプロレスにも当てはまるわけで、結局僕らはその頂点に立っている人の商品を出すことで飯を食っているのだし、その頂点へと目指すヒエラルキーのパワーバランスを構築しドラマを作っていかなくてはならないのだと改めて痛感させられた。特にルックスに対する厳しさというか、それが生活に直結して堕落していく女性の姿などの残酷な描写は恐ろしいとまでに感じた。

実際のところ、映画もルックスで見ている部分が実は5割型あるんじゃないかと最近思うところがある。もちろん物語としてそう見る事は正解ではないのだが、やはりお金を払っている以上は高スペックの人を配した状態でなければ2時間ずっと視聴するのはしんどいように思う。AKB48を始めとするアイドル業界もピンキリで地下アイドルに可愛いと思う子もいれば、容姿でかなり劣る子もいる。それにおける好みは人それぞれだが、人気になるというのはそこの大衆性を掴んだということになるのだろうか。

この本で描かれている容姿が崩れ30半ばの女性が、身体を売りながらその場しのぎの生活を余儀なくされていることには戦慄を覚える。それが徐々にではあるが、若い人たちにも生活の厳しさや、学費の問題の解決策として、セックスによる対価でしか解決する事の出来ない諸問題が発生するというのは致し方ない事なのだろうか。まあどうあれ人気稼業に従事している人にとってはこの偏差値の基準を持っての判断は一つ持っておいて間違いないだろうと思ったのである。まあプロレスラーの汁レスラー問題も実は笑えない問題だなと思いました。

イメージフォーラムドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』監督:小谷忠典
今年度ワースト映画が更新されかけた。それくらい退屈で仕方がなかった作品。被写体となった佐野洋子さんの絵本にまつわるドキュメンタリーなのだが、肝心の佐野さんは顔出しNGであることを冒頭で宣言してしまう。主人公である佐野さんは癌で亡くなってしまう、結果として佐野さんにまつわる出来事はその周辺の人物によるインタビューによって浮き上がらせるしかないのだが、その説明不足が恐ろしいほど散漫な形で浮き上がってしまい、インタビューの一つ一つがてんでバラバラな印象でテーマが浮き上がってこないのである。さらに自傷癖のある女性が出てきて、これでもかとリストカットの腕を見せられ、しかも何故かそのシーンだけがマッチの火で照明を作りきるというカットになっていて「おいおい」と思ってしまう。

「凄い暗いよこの映画!」なんかそんな気持ちになってしまう。

この監督の前作「LINE」は拝見した。そのLINEが淡々としたインタビューによる構成だからこそ意味があったのは、その女性たちの傷の連なるLINEと語りのLINEがリンクしているから成立していたのであって、この作品の構成では何故そんなシーンが出てしまうのだろうか。どのカットもとにかく「長い!」だらーっとした風景描写やこれみよがしのカットがまったくリズム感を生まない。ホントーに退屈なのだ、思わず上映中にぼやいてしまった。

想田監督が映画に血が通う瞬間になるまでにどれだけ思考錯誤をしているのか、自信の方法論を究極的に突き詰めた「演劇」2部作の徹底したそれを見て何とも思わないのだろうか。

いや、良いんだよ。画作りというか、画面構成で見せる手法があっても良いし、しかしこれはもはや甘えのレベルにあるというか、ブラッシュアップがなさ過ぎやしないか?人の心を情動させるという意思が全く見えないのである。

さらに途中から絵本のナレーションで登場する渡辺真紀子さんの登場が何の意味をなしているのかも非常に分かりづらい。テロップで説明すべき出来事はそうじゃないだろ!と思う情報ばかりでしんどかった。それに加えて出演してもこの人にとって何の特にもなってない感じがまた強烈である。

絵本の読書も入り込めない。説目不足過ぎる。

もう早くエンドロールを迎えて欲しいと思う瞬間に限って、ダラーっとした映像と、もったえぶった音楽がなかなか音楽を終わらせない。

この映画は一体何だったのだろうか?

佐野洋子さんの魅力も、絵本の魅力も僕には分からなかった。
映画で伝えようと思うなら、映画でしか伝えることの出来ない方法や演出で伝えるべきだった。

写真集的な画作りで作られるドキュメンタリー映画のそれはもうこれまでに何本も見たが、ダントツで酷いように思えた。物語としての血が通っていない。実験映画ならもっと突き放して挑戦的な試みもしても良かったのではないかと思う。

この感覚は「家族X」を見たときの印象に非常に近い。これ見よがしなだらーっとした映像が続き、本当に長い体感時間を終え一方的に終わりを迎える。

これが日本の若手映画作家による悪しき風習だといのは肝に命じるべきだろう。

それにしてもこのリズム感による視聴をどれだけの観客が支持しているのだろうか。そういえばこの映画のプロデューサーに私の作品を渡してみてもらったことがあったが、「TVっぽい」という感想をもたれたことを思い出した。しかしこの製作チームの作るドキュメンタリーはどれもが今流行りのテロップと過剰な説明を配した一定のフォーマットで作られ続けている。

しかしそれで良いのだろうか?そこには外部の世界の人間に届けるための手法としてそれで正解なのだろうか?

この人たちとの闘いも始まったと思った。
こういう人たちの作品が美大に沢山あって嫌だった。

しばらくこの製作チームのドキュメンタリーを見るのはよします。



■それにしても今日の渋谷は美人女性ばかりで満ち溢れていた。日本人可愛いと思う。ハンズの店員はヤバかった。サンマルクの店員も可愛い。この水準の高さはどうしたんだろう。

シネマライズ『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』監督:リサ・インモルディーノ・ヴリーランド
僕はドキュメンタリーの編集をする直前で、テンションを上げたいので、それ相当の作品を見たくてたまらなかった。だからこれの前に見た一本が最悪だったので、勢いでライズまで来てしまったけど、こちらは本当にテンションが上がる作品に仕上がっていた。ダイアナの至言がこれでもかと散りばめられ、それに伴うテンポの良い映像資料の使い方もクオリティーが高い。「スタイルこそ全て、自然体?退屈で怠惰だ」という姿勢は実に共感出来る言葉。スタイルというのは時代の写し鏡であり、またアイコンである。創作とはアイコンとなるスタイルが見えた時こそじんわりと来るものなのではないだろうかと本作を見て思った。至言が見ている側に伝わらないドキュメンタリーはやっぱりつまらない。その主人公の言葉に揺さぶられるからこそのドキュメンタリーではないだろうか。だから小谷監督は佐野さんの魅力が伝わっているかどうか、至言が観客に伝わっているかどうか、もっと精査しなくてはならなかったのではないだろうか。今作のあまりに正しい姿勢にそう思わずにはいられなかった。

ファッションドキュメンタリーとして、ここでも一つ「容姿」という言葉がキーワードになっていた。ダイアナは自分の容姿には満足出来なかったし、またそれを良しとしなかった。だからこそアイコンとして絶対的なモデルたちを愛する事が出来たのではないか。どの人物にも時代としての匂いが映像から漂ってくる。と、同時にサウンドトラックの使い方も当時のヒットソングを配するなど、実に機が利いている。

良作というのはタイムスリップ感があるものだというのも持論になりそうだ。大仁田興行でもそうなんだけど、そういうタイムスリップ感があると伝記ものは強い。