いじめの構造

人は何故怪物になるか?
通り、のあれで何故いじめが発生するのかは分かった。

その中で自分の仕事が徹頭徹尾完璧でないから怒られる。
そこからの逃げは全部自分の甘え。こことの闘いは始まっている。
自分で自分の中で出していくもののラインを上げていかなくてはならない。
言い訳は出来ない。(共通のセンスのラインだと思う。これは人と感性が違っていても、皆が作り上げるものでの100点を目指すという意味において。)

だが、それとは別で環境化で怪物を生んでしまっていることや、パワーラインが変わらないから、ヒエラルキーというか、自分の中で細部にしまっている怯えた感情が完璧に見え隠れする。逃避癖は間違いなくそれでどんどん傷口が開いている。

水と油で袂を分けた。
だが、厳密には一緒だ。一緒の共有財産を使う。だから怒られる。「お前のものではないと、言われる」

それはきっと「自分のものを作りたくなる衝動」を作らせる。
何を信じて良いのか分からなくなる。弱みを見せれば、人から半ば飽きられているような気もしてくる。だからもうやりたくない。DDTで心底喜べなくなっているのは自分の本当の叫びじゃないからだ。

顔色伺いまくりで、へこへこしまくり。社会はそんなもんだけど、堂々と出来ない自分が辛い。怯えてしまっているから、いじめ社会が根強いから、、、

結局のところ強者しか残れないんだ。強者というのはフィジカルとメンタルが両面で備わっていることを意味する。だが自分はどちらにおいても弱者だ。
だからもう良いんだ。

それからまたCテレビにいた頃と同じ体内順路になっていて、ヤバい。

創作を完璧にする訓練をしなくてはいけない。
自分の中で妥協をする心を殺さないとダメだ。

追記:この本の内容は強烈。ある種の理不尽さの解体でもあり、それで悩んでいる人にとってみれば、ようやく見つかった解体新書とも言えると思う。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)