ミシェル・ウィリアムズ似の美人

■尾崎さん家に行く。素材を受け取りに。今回のニコ生放送は私が一人で代打。西部新宿線で向かった沼袋方面は良い街だった。東京探索も悪くないなあ。入ったラーメン屋はまあまあ。

■中継のあれこれを尾崎さんと電話でやり取りしながら、接続。爆弾解体みたいでハラハラ。放送は上手くいった。というか一人で出来ることだったことに気付く。いよいよ何でも屋、便利屋として色んな事が出来るようになってきたぞ。

■帰りの終電で、ミシェル・ウィリアムズ似の美人がいて見とれていた。背は170近くて、黒髪で漫画を読んでいた。とてつもない華やかさと、凛とした感じと、日本人かもしれないけど、たぶんハーフっぽくて、かつ手が届きそうで、届かない感じのオーラ。隣の席に座り、異常にドキドキして、腕がふれ合い、窒息しそうになった。こんなことを書くのは実に気持ちが悪いが、思わず映画のようなシーンが現実に起こっていることと、偶然性のドキュメンタリーな側面と、京王線の風景が僕にはかけがえの無い光景として迫ってきたように思えた。何か分からないが、こんな感覚は映画にしまっておきたいと思う。そんなことを考えていたら、聖蹟桜ヶ丘でミシェルは降りて行った。まさか自分と同じ街にこんな美女がいるのかと思うと、こんな救いようが無い毎日でも、良い事は起こるのだと、一筋の光を感じる。ひたすらアホなことを書いているが、これは何故映画っぽいのかということを考えてみると、『シルビアのいる街で』という映画のような感覚で、思わずその足跡を辿りたくなるような、それは街と女性と、また言葉では上手く伝えられぬ恋心と、妄想と、それに酔いしれる男の勝手気ままな自己愛が絡み合った複雑怪奇な体験なのだ。