映画みました

『プレイヤー』
監督:
エマニュエル・ベルコ
フレッド・カバイエ
アレックス・クルテス
ミシェル・アザナビシウス
エリック・ラティゴ
ジャン・デュジャルダン
ジル・ルルーシュ
女とセックスをすることが止められない伊達男二人を中心に、様々なショートエピソードも交えた妙な構成で見せるコメディ映画。どの国にもセックスをスポーツライクのような感覚で捉えている人はいるもので、それはある側面から見れば非常に苦労なしに、羨ましくも見えてしまうのだが、今作はそんな人種たちによる笑えるエピソードを盛り込んだ変わった映画。

100分ほどの上映時間全てが統一された物語でないということが、フェードインフェードアウトで編集される構成で次第に分かるのだけど、ショートストーリーでやるならそれで見せきった方が良かった気がする。構成の軸で見せるというタイプでないだけに、構成の見辛さが際立った。セックス描写は僕には笑えたのだけど、他の人はどうなのだろう、エグいと言えばエグいだけに、見ている側のリテラシーがそこに見えそうだ。下劣さは群を抜いているし、ゲイになるオチとしてアナルファックをし合う二人にしても、品格はない。アーティストの主役さんということで、俳優としての幅を見せた格好でしょうが、見ている人によって好き嫌いはかなり分かれるのではないかと感じた。

一番面白いのがメインのストーリーではなく、浮気を止められない男たちのセラピー会のシーケンスだった。浮気をした理由で先生がいくつか質問していき、最後のアホな質問で全員が手を挙げるなど。これはこれでワンシーンもののコメディとしての可能性を感じた。

見終わってしまえばあまり記憶に残らないのがもったいないというか、ハングオーバーブライズメイズのような肯定感がないのが何だろうか、主人公たちのチーム感がなかったりとか、キャラクター造形に愛せる要素があまりないのがもったいないのだと思う。特にセクシャルなテーマを扱う場合は意外なほどグルーヴ感が大事なのではないかというのが、ここ何本か見てきた中での印象だ。

あと監督が多過ぎるんだけど正しいのか、この情報は。


■『テイク・ディス・ワルツ』監督:サラ・ポーリー
鮮やかな色彩豊かな画面が印象的なカナダ映画。またしても夫婦間の中にある倦怠と浮気性が見え隠れする映画。ブルーバレンタイン等この手の作品が流行している背景は興味深い。作品のテーマはザックリすると「何故人は満ち足りていないものを埋めようと求め、新たな世界に行こうとするのか?そしてその先には?」というもの。ミシェルウィリアムズはまたしても夫婦生活に何かが不足していることを感じている若妻を演じている。(体系がややぽっちゃりしているのと、ちょっと油断した感じがあるのがミソだと思う)セス・ローゲンが夫役を演じているが、群を抜いて魅力的だった。レシピ本を創るために料理研究に没頭している。ややいつものセス・ローゲンらしくないなと思いつつも、イタズラ心溢れる童心が垣間見えてやっぱり微笑ましくなる。奥さんがとても好きなんだけど、パン一にTシャツでいつも家にいるから、ロマンティックに欠ける。けど、ユーモアが最高にあって唯一無二の存在としての旦那であるという説得力をしっかりと持っている。ミシェル・ウィリアムズがどこか夢見がちな雰囲気を示すのが部屋にいる描写で分かる。料理をしているセスローゲンに話しかけ、抱きしめようとしたり、しかしそういう行為を大好きなものを研究しているときにやられたりすると、うざったくなるというのが男の性分!「夫を誘惑するのだって大変なんだから!」と叫ぶヒリヒリ感はこの作品の豊かなルックを一変させる強い言葉だった。

セス・ローゲンミシェル・ウィリアムズが見ている世界が違うのが、家の窓越しで表現されているのが分かりやすく、巧い。音楽がなっている嫁側となっていない夫側。嫁は常に音楽が鳴っているような夫婦生活を夢見ているが、旦那はそんなことはおかまいなしの世界で生きている。音がなる部屋にいる嫁、自然音だけの旦那側、その窓越しのキスが窓というセパレートされた感情を指し示しているようである。

リキシャを運転し、絵を描いて自由に生きる男と、部屋の中で黙々といつも通り料理を創る旦那。対照的な二人だが、どちらが魅力的に映るのだろうか。

私はとにかくセス・ローゲンの健気な演技にひたすら感情移入してしまった。かつての自分もパン一で彼女の部屋をウロウロし、ドアを開けっ放しにしてウンコをしていたから。そんな状況を許容してくれるパートナーが楽に感じられ、ずっと好きだという感情に浸れるのだ。だが、そんな生活にロマンなどを感じるほど女性もバカではない。

省略された別れを告げる描写。画面にはセス・ローゲンだけが映っている。「死ぬまでずっと一緒だと思っていた」ここからセス・ローゲンの潔い姿が映し出され、対照的に新しい生活に彩られたミシェル・ウィリアムズだが、この描写があまりノレなかった。もちろんその先に求めた世界がどれだけ彩られているかを表現するには妥当だが、見ている側にはセス・ローゲンのその健気な姿こそ印象に残っていて、蛇足に見えてしまう。セス・ローゲンのその魂溢れるその演技に対して、あまりに美的に創られた映像は全体のルックとしての差異が激しいものだが、それでもセス・ローゲンの魂の独白に勝るものでもない。だから幸せになったとか、賛辞を送りたいものではなかった。だからそれらのカタルシスを散らしたように思えたラストに散漫という言葉を使ってしまったが、何故か師匠に勘違いして使用され哀しい気持ちに。(あくまでも私的な感想)

■師匠ともんじゃ。どうしようもない人について90分喋る。もっと建設的な話は出来たかもしれない。