『サニー 永遠の仲間たち』

Bunkamuraル・シネマ『サニー 永遠の仲間たち』監督:カン・ヒョンチョル
号泣映画が再び更新。かつての仲間たちとの思い出と、青春を再び謳歌したいと思う現代が見事な構成とサウンドの妙によって浮かび上がる。大人になるとより生活という面が現実に迫り、青春の輝きは失われていっているように思う。年を重ねれば重ねるほどに生活は凡庸なものになり、質素なものになっていく。それはオーソドックスなライフではあるが、それが幸せの一つではあると思うし、またステレオタイプの概念でしかないことも一つだろう。主人公は夫の出世によってそれなりの生活を約束された主婦だ。お金に困っている様子はなく、また子供も育っている。しかし何かが満ち足りていない様子を冒頭のシーンで、素っ気ない夫との会話や、苦虫を噛んだかのような表情によってテンポ良く説明している。偶然病院でかつての友人を見かける。癌にかかっている、残りの人生は少ない、かつての仲間のサニーに会いたい。分かりやすいプロットの中で主人公たちのかつての回想シーンが鮮やかに映し出される。何てことはないストーリーなのだけど、何故ここまで喚起させられるものがあるのか。検証してみたい。

ステレオタイプのキャラクター
あえてなのか登場人物はここまでかというくらいに分かりやすい性格とルックを持って登場してくる。特に子供時代のキャラクター造形は著しく分かりやすい。さらにイケメン男子に恋する瞬間でも、あまりにベタな表現を使う。しかしベタがベタとして機能するだけでなく、どれもがベタ以上のお釣りのある表現で帰ってくる。そしてそのタイミングも実に気持ちの良いものだ。例えば、ライバルグループと闘うとき、おばあちゃんがいつも言っている説教を、狂った表情で言い、それを憑依していると伝え相手をビビらせるところなど、実に秀逸だと思う。