■天気が安定しない。ここ3日間は毎日家に帰った。珍しい。そして毎日家に帰るという行為を3日間もしていなかったことにビックリだ。このところは事務所にいるのが辛い。だから散歩も兼ねて家に帰るようにしていた。良い気分転換になったように思う。歩くことで、だらっと椅子に据わっていた時間も減り、ちょっとだけ健康指数も上がったように思う。

■ここ数日間に渡ってtbc radio lifeのpodcastを聞いていた。「理想の職場」という銘打たれた中で、近年話題になり続けている、ブラック企業論、ノマド、ソーシャルといった言葉を織り交ぜ、働くことの意義をもう一度問いただす内容になっていたように思う。

その中で小説家の海猫沢めろんさんが実に明朗な姿勢で「働きたくない」と言っていた。「毎日9時間は寝たいし」などと言いながらも、巧みに働くことで生じる害を逃れようと試みる先生の発言は面白かった。過労死礼賛社会が依然として続いている中で、働きたくないという主張がある種理にかなって聞こえるのは凄いことだと思う。

また津田さんの主張にも納得で、嫌な上司やそれに類することに時間がとられることが、とてもキツいという話。まさにそれは以前の会社に勤めていた自分の姿そのものでもあった。

企業は「成長」を求める。リスナーが就職活動を辞めたのは、その企業の上昇志向が自分にないと判断したからだという。つまり現状維持で良い。もっとお金をもらいたいとか、そういう思考がないことに根付いたその意見は一見後ろ向きな発言に聞こえるが、現状維持という言葉の真意を捉えようとしている。

「現状維持」とは成長であるという発言があった。つまり「現状維持」をキープをするということはそう簡単には出来ない。あるアベレージを出し続けるということは同時にプロとして確かに重要なことではないかとも思う。

僕は生まれて非常に浮き沈みの激しい気分屋で、調子に乗っては沈みを繰り返してきた。つまり一定のパフォーマンスを発揮した記憶がない。良いか悪いかみたいな、いつもそんな調子だった。それにも限界を感じてきている。

つまり自分の働きやすい状況を建設していった方が良いのだということだ。今、思えば僕は強い組織図の中で動き回ることを苦手としてきた。というか、高校生以降はやはり弱者に近いグループに所属していたように思う。高校時代のレスリングは僅か3人のグループ。大学のサッカーサークルは自分が行きたいときにしか行っていないし、プロ研も一橋には所属していたものの、ほぼフリーランスのような形で他の団体にも出入りしていった。もうこの頃から強い圧力がかかる集団には属せないことが何となく形成されていったように思う。だからヒエラルキーのような圧力がかかった途端にとてつもないモロさを発揮する。

かといって所属がないわけではない。帰る場所があり、相談すべき仲間を作る。そういうことにかけては不思議と苦手にしていなかった。まぁかなり気を使わせてしまったのかもしれないが、今でも交流があることを考えると、自由なことが許された組織の中で上手く立ち回らせていただいたと思う。DDTはそういう意味では理想の職場に近い。もちろんしんどいこともあるけどキャパ越えをすることもあるけど、必ず一定の給与は与えられるし、同時にまだ自由なこともさせてもらえる。それは高木さんによるものが多い。プロレスの面ではもうそんなに興味が持てないけど、企業体という部分では僕は高木さんによって随分救われたように思う。所属感覚と、参加の仕方が良い意味でも、自分と合っている。

だから僕は成長を促す企業には働けないと思う。嫌な人たちと飲みたくないし、それに伴う時間も本当に辛いと思う。そういうことがなくて、映画を見に行けていることは大変有り難い。

成長をするということはどういうことだろうか。26歳というものを考えると、成長していない